日本の陶芸家。兵庫県明石郡出身。
代々やきものを生業とした魚住町中尾の西海家に生まれる。
幼少より作陶を志し大正9年、20歳のときに旧満州、満鉄窯業試験場に入社。
中国各地を遍歴し中国古陶芸を研究する。
帰国後は京都でも修行をつみ、「陶工千尋」と号し作陶をはじめる。
昭和5年千尋窯を築き以後、帝展入選。
昭和17年には国から芸術保存資格者(通称「丸芸」)の認定を受ける。
昭和25年に、文陶社を創立し陶芸の普及に貢献。同年、兵庫県文化功労者表彰をうける。
自ら研究を重ねながら明石焼きの特徴の一つである釉薬を用いた作品を制作し、釉薬の流れをたくみに計算した図案的な効果を表現する方法が千尋焼の特徴。
昭和37年9月18日、淋巴肉腫のため死去。享年62才。