明治~昭和時代に活躍した鋳金家で、幕末から続く彫金の名家の4代目として知られています。
秦蔵六は文久年間から活躍した初代が蠟型鋳造に秀でた才能を持っており、孝明天皇の銅印、徳川慶喜の征夷代将軍の金印、明治天皇の御璽(ぎょじ)や国璽(こくじ)を鋳造した金工の名門として今日まで続き、その当主が代々受け継ぐ名前です。
ちなみに初代・秦蔵六は鉄瓶製作で有名な龍文堂の門下で鋳金の技術を学んでいます。
秦蔵六の中国銅器の写しは他の追随を許さないほど素晴らしく、その技は代々受け継がれています。
また、秦蔵六が手掛ける蝋型鋳造は一つの型から一つの作品しか制作する事ができないため、非常に手間のかかる技法です。
そのため作品は精緻なものが多く、中古市場でも高値で取引されている作品の多い作家として名前を挙げる事ができます。
4代・秦蔵六は2代・秦蔵六に師事して鋳造の技を磨きました。
技術保持資格者に認定され、京都金属工芸協会長をつとめており、東京や大阪を中心に個展を開催し、その高い技術を披露していました。