藤田潤は東京生まれのガラス工芸家で日本硝子工芸協会理事長でもあり、ガラス工芸家としては初の文化勲章を受章した藤田喬平を父に持ちます。
藤田潤は学習院大学文学部哲学科を卒業した後、ガラス作家の道に進み、コンクールでの受賞や個展で発表するなど精力的な活動を見せており、モダンな色彩と日本の伝統美を融合した独自の作風を築き、父とは別の角度から新しいガラス工芸の追及に励んでいます。
親子二人三脚でガラス工芸に没頭し、ヴェネチアに2週間ほど滞在して現地のガラス職人達と切磋琢磨しながら共同で大作を作る事にも取り組んでいました。
この時のエピソードでは片言のイタリア語とスケッチと職人魂で不思議と意思疎通が出来たそうです。
日本の美を追及した作品の多くは不思議としっとりとしており、艶消しの作品がほとんどで藤田潤の工房もヴェネチアの工房から届いた光沢のある作品に艶消し加工を行っているため、ヴェネチアの職人はわざわざ艶消しにすることに首を傾げるそうです。
藤田潤の作品の中には、色のついたガラスを長い棒状にしたものを透明ガラスに挟み込むモザイク作品の技法があります。
父・喬平も手掛けていなかった技法で、この技法は制作過程では色の確認が出来ず、丸1日~4日ほどかけてじっくり冷やした後に初めて納得のいく色かどうかが知ることが出来るといわれています。
またモザイク作品は色によって膨張率が違うのでコントラストがはっきりとした作品は色が広がらないように作るのが難しいとされています。