京都府出身の昭和時代に活躍した日本の陶芸家です。
生涯、美術団体に所属する事なく、独自の道を進み続けた河合卯之助はその作風から「赤絵の卯之助」とも呼ばれました。
また、染付を主とした作品は水墨画をそのまま焼物の表面に張り付けたかのように見事なものが多く、観賞用としても高い人気を誇っています。
陶芸家・河合瑞豊の次男として生まれ、弟の河合栄之助も陶芸家として活躍しています。
そういった家庭環境もあってか、幼い頃から家業の手伝いを行ううちに陶芸家としての道を進むようになります。
西陣織の図案を描くなど図案家としても才能を見せていた河合卯之助は、陶器研究のため朝鮮へ外遊し、李朝陶器を研究します。
その後、京都向日町に向日窯を築き、独立します。
ここでは帝展に出品する作品を制作し、パリの芸術と技術の万国博覧会やニューヨーク・サンフランシスコ万国博覧会に出品します。
また、押葉文様の技法で特許を取得し、河合卯之助の代名詞としました。
戦後は戦火によって壊れてしまった向日窯を再建し、個展を中心に作品の発表を続けました。