江戸時代後期に活躍した陶芸家です。
本名は惟一といい、幼名は豊之助といいました。
生家は醤油醸造をしていましたが、島内の産業を興し、島民の生活を向上させる目的で家業を廃し製陶に従事しました。
珉平焼(みんぺいやき)の創始者で、京都の陶工・尾形周平から陶技を学び、淡路の池之内村(現・洲本市)において良質の白土を用いて、本格的な作陶に取り組みました。
後に尾形周平を淡路に招き釉薬調合の焼き物を手掛けるようになります。
色調は鮮やかなものが多く、赤、黄、緑いろなどが特徴的です。
また藩窯の許可が下り、御用陶器師・勝瑞珉平の称号が与えられ藩主が窯を見学に訪れたりしました。
黄南京写しや、京焼風の陶器も作るようになり、これらの作品は大坂販売所を構えて全国に販路を拡大するなど大きく発展しました。
晩年には経営から退き、個人窯を築いて作陶に励みました。
しかし、現在では白土が取れなくなり、後継者がいないので珉平焼は廃れてしまいました。