沖縄県出身の昭和~平成時代に活躍した日本の陶芸家です。
沖縄の伝統的な焼物である壺屋焼を芸術の域にまで高めた事で知られており、魚や海老をモチーフにした絵付けが有名です。
作品は飛鉤、三島手、刷毛目、指描き、赤絵、三彩などの多彩な技法を織り交ぜ、素朴で重厚な壺屋焼を生み出し、全国的に壺屋焼を広める事に成功しており、重要無形文化財「琉球陶器」の保持者となっています。
また、沖縄の壺屋焼に興味を持った濱田庄司が金城次郎のもとを訪れており、金城次郎の力量を見出した事はとても有名な話です。
沖縄県の中心地である那覇市で生まれた金城次郎は壺屋の名工・新垣栄徳の製陶所に陶工見習として入所し、作陶の基礎を学びました。
この時13歳だった金城次郎はスポンジが水を吸い込むように作陶の技術を学んでいきました。
戦時中は召集された事もありましたが、戦後は壺屋の窯業復興に尽力し、窯を築いて独立を果たします。
こうして、陶芸家として様々な作品展に出展を続け、名を上げていきました。
沖縄県の北部にある読谷村から招かれると読谷村に移り住む事になり、読谷壺屋焼・金城次郎窯を構えました。
一時、病のため作陶を続ける事が困難となった事もありましたが、見事復活し、日本を代表する陶芸家として世界中でもその名が知られています。
85歳で引退をした金城次郎ですが、残された工房は息子・金城敏男が跡を継ぎました。