兵庫県出身の大正~昭和時代に活躍した日本の陶芸家です。
九谷焼の名工として知られ、九谷焼で初めてとなる日本芸術院賞を受賞した人物でもあります。
富本憲吉に師事し、すでにある伝統的な文様や図柄の組み合わせに頼るのでなく、自ら見つけた題材を写生し、単純化抽象化して新しい文様として活用する方法を意識するようになってからの作品は高い評価を受けており、現代九谷に大きな影響を与えました。
九谷焼の窯元・北出家の婿養子として作陶技法を身につけた北出塔次郎は、大阪美術学校日本画科研究科に入学し矢野橋村に日本画を学んでいます。
これは色絵の技術を高めるためであり、その成果が商工省主催の工芸展で初入選という形で表れました。
その後、帝展を中心に作品を発表していき、名声を高めていきます。
そんな中、色絵の研究に打ち込んだ富本憲吉が北出塔次郎の窯を訪れ、半年間滞在します。
北出塔次郎はこの時、富本憲吉から「作家精神」を学び、より創作的な作品を手掛けるようになりました。
また、富本憲吉によって北出塔次郎の窯は「青泉窯」と命名され、九谷では素地造りを専業とする窯元と絵付け専業者とが分業化されていますが、青泉窯では一貫制作を行うようになりました。
その後の北出塔次郎の活躍は金沢美術工芸専門学校、金沢美術工芸短期大学、金沢美術工芸大学などで教鞭を執り、後進の指導に尽力し、日本画の伝統に裏打ちされた高度な絵付け、華美な文様と彩色、的確な造形で九谷の新たな歴史を作り現代九谷の第一人者としてその名を残しました。