東京都出身の昭和~平成時代に活躍した日本の彫金家です。
中国を含む広い古典に学び、伝統に基づいた端正な形の中にモダンなデザイン感覚を取り入れた作品を展開しており、パリ万国装飾美術工芸博覧会で銅牌を受賞するなど国際的にもその実力が認められています。
戦後は、戦争中に供出された薬師寺薬師三尊像をはじめとする仏像・仏具などの修理・保護に尽力し、それをきっかけに梵鐘の制作を手掛けるようになり、重要無形文化財「梵鐘」の保持者として活躍しました。
また、古代の金工品、古鐘の研究にも従事し、文化財保護審議会専門委員、日本工芸会金工部会長などを歴任しています。
鋳金家・香取秀真の長男として生まれた香取正彦は画家を志望して太平洋画会研究所でデッサンを学んでいました。
東京美術学校に入学すると鋳金科で学び、津田信夫の指導を受け古典研究を基礎とした作品を制作し、帝展、日展で賞を受賞しました。
その後も新文展、日本伝統工芸展でも活躍し、その名を上げていきます。
戦後になると平和への祈りを込めて梵鐘の制作にあたるようになり、1981年に梵鐘制作100点を達成し『百禄の鐘』を出版する偉業を成し遂げています。
梵鐘制作は比叡山延暦寺、成田山新勝寺、広島平和の鐘を手掛け、生涯の制作点数は100点以上にのぼります。