京都府出身の昭和~平成時代に活躍した日本の陶芸家です。
李朝陶器に魅せられ研究を重ね、韓国でも廃れかけていた李朝陶器を継承する第一人者として活躍し、韓国の土に一番近い土がある対馬に窯を築き、粉引、奥高麗、三嶋、斗々屋、伊羅保、刷毛目などを手掛けており、その中でも井戸茶碗に高い評価を得ています。
また、お酒をこよなく愛した小林東五は酒器にも秀作をみせています。
小林東五の作風は古雅な趣の中に、遊び心と自在な精神性を垣間見せる独自の表現で、小林東五ならではの世界観を表現しています。
しかし、古稀をもって陶芸活動に幕を下しています。
小林全鼎(雲道人)の長男として生まれた小林東五は、特に目立った才能や体力もなく父親から「机の上で何をどんなに修めても所詮は脳みその遊戯に過ぎないのだ。爾後お前は人生流浪の旅に出て、毛孔で世の中を見て来い」という言葉で16歳の時に一人旅に出ました。
その旅の中で自分に何ができるのか考えた時に「焼物」が頭に浮かび、師に就く事を嫌った小林東五は韓国へ渡ります。
韓国では特定の師に就く事はなく、李朝陶器の陶片から様々な事を学び、やがて李朝陶器に惹かれていきます。
こうして、李朝陶器の第一人者になった小林東五は日本の対馬に窯を築いて制作活動にあたりました。
ちなみに本格的に陶芸家として始動したのは父親が亡くなってからでした。
また、父親が禅を極めた人物であった事から漢籍、書画、篆刻を学んでおり、詩書、篆刻、陶磁の個展を日本や韓国で開催しています。