寛永年間に京都で創業した錺鋳物師名家の当主が代々襲名する名前で、豊臣家の武人・安藤氏の子である初代が豊臣秀吉に命ぜられて緋銅色、黄銅色の金属着色法を生み出し、茶道用火鉢を造ったところ、「五良三郎色」と称賛され、屋号を「金屋」とした事でその歴史が始まり、その技術は一子相伝で受け継がれています。
3代の頃から茶器や書道具の制作を行うようになり、9代で「金屋」から「金谷」に改め、11代の時には「金谷五良三郎」の商標登録を受け現在まで続いています。
14代・金谷五良三郎は金谷家の血筋ではありませんでしたが、その腕を買われ、これまで一子相伝だった技法を受け継いだ人物でした。
そんな13代の長男として生まれ、13代に師事して技術を学んだ14代・金谷五良三郎は、第60回神宮遷宮記念須賀利御太刀の謹作を行うなど名誉ある仕事をこなし、14代・金谷五良三郎を襲名しました。
現在は息子に15代を譲っており、これまでに多くの作品を残しています。