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笠間焼

笠間焼
笠間焼(1770~)
笠間焼は江戸時代中期頃から茨城県笠間市周辺で作られ始めた焼物で、特徴が無いのが特徴だといわれています。
しかし、笠間の土は焼き上がりの収縮率が高いので出来上がった作品は硬くて丈夫な事で知られており、これが最大の特徴ともいえます。
 
笠間焼は久野半右衛門という人物が信楽焼の陶工である長右衛門に見込まれた事と、地元の土が良質だったこともあり、長右衛門の指導により開窯したされています。
その後、久野瀬兵衛が引き継ぎ長右衛門の弟である吉三郎とで盛り立て、笠間焼の前身である箱田焼と呼ばれる日用雑器を焼いていました。
 
後に、笠間藩主・牧野貞喜によって産地奨励や生産を高め仕事を後世に伝えるために、お庭焼を下屋敷付近に開窯させ、仕法窯を領内の6ヵ所に設置しました。
これらを行う事で製陶業は発展し、江戸に近かったことから利根川を利用した販路拡大に成功しています。
また箱田焼の近所で作られていた笠間焼の源流とされる宍戸焼という焼物があり、これは技術や技法、原料も全く同じものを使用していたために明治時代になると総合的名称で「笠間焼」として販売されるようになったとされています。
 
笠間焼は伝統を守りながらも、伝統に固執しない自由な作風が特徴的で、釉薬の掛け流し、重ね描き、青すだれ、窯変などの釉薬による技法も見られます。
現在も民窯で作られており、硬くて丈夫でありながら独特の温もりを感じる事の出来る暮らしの焼物として国内外問わず人気があります。

笠間焼年表


1770年 この頃に作られ始める
1789年 笠間藩主・牧野貞喜がこの頃にお庭焼を下屋敷に開窯する
1861年 仕法窯を領内6ヵ所に設置する
1830年 山本勘兵衛が宍戸焼を始める
1869年 田中友三郎が東京に販路を求める
1877年 内国勧業博覧会で笹間焼の茶壺が一等を受賞する
1892年 生産額が過去最高の13億円となる
1907年 生産額が6億円と激減する
1919年 ろくろ成形だったため、量産に向かず不利になる
1926年 更に生産額が3億円と激減する
1935年 品質向上に成功する
1940年 笹間焼に価格統制令がしかれる
1948年 県立窯業補導所を設立する
1950年 茨城窯業指導所を設立する
1960年 民芸陶器の生産を始める
1972年 笠間市が窯業団地を造成する
1978年 笠間焼連合組合が結成される
1990年 笠間焼協同組合が結成される

1770年 この頃に作られ始める

1789年 笠間藩主・牧野貞喜がこの頃にお庭焼を下屋敷に開窯する

1861年 仕法窯を領内6ヵ所に設置する

1830年 山本勘兵衛が宍戸焼を始める

1869年 田中友三郎が東京に販路を求める

1877年 内国勧業博覧会で笹間焼の茶壺が一等を受賞する

1892年 生産額が過去最高の13億円となる

1907年 生産額が6億円と激減する

1919年 ろくろ成形だったため、量産に向かず不利になる

1926年 更に生産額が3億円と激減する

1935年 品質向上に成功する

1940年 笹間焼に価格統制令がしかれる

1948年 県立窯業補導所を設立する

1950年 茨城窯業指導所を設立する

1960年 民芸陶器の生産を始める

1972年 笠間市が窯業団地を造成する

1978年 笠間焼連合組合が結成される

1990年 笠間焼協同組合が結成される


笠間焼代表作


『鉄彩花瓶』
『大徳利』

『鉄彩花瓶』

『大徳利』


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