千家十職の塗師で、千家十職とは茶道に関わり三千家に出入りする事が許されている茶碗師や塗師、指物師といった十の職家を表す尊称で、代々の家元によってその数が変動していましたが、明治期には現在のように十職に整理されました。
そんな千家十職である中村家の歴史は400年以上続いており、当初は蒔絵を施した家具などの制作を行っていましたが、明治時代以降は茶道具専門の「型物塗師」となります。
以来、棗、香合などを中心に塗物の茶道具の制作を行っており、それぞれの代で秀作を残しています。
そんな中村宗哲のはじまりは、千宗旦の次男・一翁宗守が吉文字屋・吉岡与三右衛門の養子となり、吉岡甚右衛門と名乗って塗師を営むようになったことがはじまりでした。
しかし、宗守は宗旦から官休庵(武者小路千家)を譲り受ける事となり、吉岡家を出る際に与三右衛門に家業を譲り、与三右衛門が初代・宗哲と名乗るようになり、こうして塗師・中村宗哲が誕生したのです。
歴代の中村宗哲は後桜町天皇即位式、中宮御入内の禁中御調度結納の大役を任されたり、千家以外にも井伊直助好みの物を制作したりと、様々な歴史を刻みながら現在まで続いており、10代の時は女性が初めて当主として名乗っていましたが、千家十職の当主としては正式に認められていませんでした。
その後、12代が女性の当主となり、初めて千家十職の当主として認められ、現当主である13代も女性の当主として、女性にしか出せない柔らかな雰囲気を持つ伝統的な作品を展開しています。