和歌山県出身の釜師で、大正から昭和時代にかけて活躍しました。
その実力は無形文化財保持者に認定されており、茶の湯釜の肌打ちの名人として知られています。
根来家はもともと鉄砲撃ちで紀州藩の武士でした。
しかし、武士としての仕事がなくなり、実三の時には別の仕事を探さなくてはなりませんでした。
そんな時、元家老に大阪の釜屋を紹介してもらい、茶の湯釜の美しさに惹かれ、裏千家御用釜師の4代・佐々木彦兵衛に弟子入りして鋳造を学びました。
この頃に「根来」と名乗るようになり、また、実三の妻の祖母が釜屋の娘であった事から釜屋をはじめました。
その後、上京し、当時帝室技芸員と東京美術学校の教授であった香取秀真に師事して金工の技術と歴史を学んでいます。
こうして念願の遠州茶道家元職方釜師となり、多くの茶人から愛される茶釜制作に尽力しました。
息子・茂昌、孫・琢三もそんな実三の姿を見て育ち、ともに釜師としての道を歩み、厳しい修行を経て立派に釜師として活躍しています。