表千家7代・如心斎の時代に活躍した日本の釜師です。
詳しい史料が残っていないため生没年などは不詳ですが、優秀な釜師であった事は残された作品の多数の極書から判断する事ができます。
本名は知義、通称を弥三右衛門といい、俗称を「ててどうや」といいました。
西村家は西村弥一郎を初代として2代・西村道弥、3代・西村道也と続いており、西村道爺は西村家の4代目という事になります。
子供がいなかったため家は途絶えてしまいましたが、西村家の系譜とされるものは複数存在しています。
ちなみに一般的には西村家と言えば、千家出入の釜師であった西村道弥、西村道也、西村道爺の三人の系譜を指し、その中でも3代・西村道也は西村家一の名手といわれています。
代々受け継いだ伝統技法による厳然たる器体と、古色を帯びた砂肌・中荒肌を特徴とした落ち着いた作振りは表千家7代・如心斎の心を掴み、富士釜、累座釜などの多くの好み物を制作しました。
また、6代・覚々斎原叟好みの百佗釜、達磨釜も高く評価されており、中古市場でも高値で取引されています。