中村六郎は岡山県備前市の出身の備前焼を代表する陶芸家で、日本工芸会、備前焼陶友会、伝統工芸士会に所属していました。
中村六郎は旧制閑谷中学校を中退し、終戦まで会社勤めをしています。
後に父親の知り合いだった金重陶陽の影響を受け陶芸家を目指すようになり、備前焼で初めて重要無形文化財保持者となった金重陶陽に師事しました。
また金重陶陽の家に北大路魯山人が来た時に技術を学んでおり、魯山人の影響も受けます。
その後、六郎窯を築き独立し、日本現代陶芸展などに入選するようになります。
多くの受賞歴のある中村六郎の作品は酒器がメインになっており、「酒器作りの神様」「酒器作りの名人」「酒器の六郎」「徳利の六郎」などと呼ばれていました。
中村六郎自身も大の酒好きで知られており、六郎窯の入り口に無数の一升瓶が並んでいたり、夜に家に戻らず朝に田んぼのあぜ道で目が覚めたという事もあったそうです。
中村六郎が酒器にこだわる理由は、酒好きという理由の他にも制作した酒器を金重陶陽に差し出した時に「鼻の入らんようなぐい呑みはおえん」と一喝された事から酒器に力を入れるようになったそうです。
中村六郎の作品は飲み手の心を知りつくした飾らない人柄がそのまま作品に滲み出ており、魂の自由さを感じるところに魅力があるといわれています。
そんな中村六郎の作品は備前の観音土を使っています。
ろくろで徳利などの酒器を好んで制作していましたが酒器の他にも手捻りでは取っ手のない急須の泡瓶、宝瓶や通常の急須、茶碗などもあります。
作風としては野性味あふれ、窯変で生まれる深い緋色は「中村家の緋色」と呼ばれ人気があります。
また小ぶりな作品が多く、ろくろ目が付けられており下膨れの作品や、黒い焦げと緋色が両面に現れ黄味掛かった胡麻が美しく降りかかった作品もあります。
中村六郎は伝統工芸士の認定や勲七等青色桐葉章を受賞するなど輝かしい功績を残していますが、惜しまれながらも2004年4月にこの世を去りました。