楽宗入は千家に出入りする千家十職の焼茶碗師5代目の楽吉左衛門です。
楽宗入は雁金屋(尾形家)に生まれ、楽家4代目の一入の婿養子となり28歳で5代目楽吉左衛門を襲名し、隠居後に表千家から「宗」の字をもらい宗入と号します。
父の雁金屋三右衛門は尾形光琳の叔父にあたり、尾形光琳、尾形乾山とは従兄弟同士です。
しかし楽宗入の作風は豪華で華やかな装飾の光琳、乾山とは逆で、出来る限り装飾性を排除し、初代長次郎の質素な作風を好んでおり利休の侘び茶や禅の精神性を追求していたといわれています。
利休茶碗である長次郎の作風を追い求め、カセ釉と呼ばれる光沢を抑えた黒釉を生み出しました。
楽宗入の黒楽は光沢の無い黒で鉄錆を思わせ、赤楽は白みを帯び主張しすぎない色調となっています。
全体的にいえる事では低重心でどっしりとしており、静かな存在感があります。
また渋い長次郎風の茶碗だけではなく、元禄時代の華やかさが感じられる香合などの作品や宗入二百などと呼ばれている数物もあります。
楽宗入は歴代の楽家当主の中では作品の評価は高くはありませんが、「宗入文書」と呼ばれる楽家の家系図を3つの文書でまとめるなどの実績もあります。