【坂高麗左衛門(11代)】買取作家・取扱い一覧 茶道具・煎茶道具

坂高麗左衛門(11代)

坂高麗左衛門(11代)
坂高麗左衛門(11代)(1912~1981)
山口県出身の昭和時代に活躍した日本の陶芸家です。
10代・高麗左衛門の次女・幸子と結婚した事で婿養子となり11代・坂高麗左衛門を襲名しました。
坂家は松本御用窯の伝統ある萩焼宗家として知られ、その歴史は豊臣秀吉の朝鮮出兵に伴い、当時の中国地方一帯を治めていた毛利輝元が朝鮮より帰国する際に連れ帰った李勺光と李敬という陶工が、毛利輝元の命で松本村中ノ倉に開窯した事に始まります。
はじめは「坂田」を名乗り、後に「坂」に改姓し、李敬は2代藩主・毛利秀就より「高麗左衛門」の名前を賜りましたが通称として「助八」を名乗っており、歴代の坂高麗左衛門も「助八」や「新兵衛」などと名乗っており、「高麗左衛門」を使用するようになったのは9代の時からでした。
 
山口県豊浦郡吉母村で生まれた11代・坂高麗左衛門は本名を信夫といいます。
帝国美術学校を卒業し、山口県立大津中学校に美術講師として勤務していましたが、結婚を機に坂家に入り、30代半ばで陶芸の世界に入りました。
もともと洋画家として教鞭をふるっていたため美的センスは光るものがあり、10代・高麗左衛門から学んだ事をスポンジのように吸収していきました。
格式ある萩焼宗家を受け継ぐために重たい伝統を継承する事へのプレッシャーと戦いながら作陶を続け、因習にとらわれず、これまでの伝統に新風を吹き込んだ独自の作風を展開していきます。
朝鮮の井戸茶碗風の作品や胎土に荒砂や礫を混入した鬼萩手など豪快でたくましい作風を得意としており、日本工芸展で連続入選を果たすなど、活躍を見せ、日本工芸会正会員、山口県指定文化財荻焼保持者として立派に11代・坂高麗左衛門としてのつとめを果たしました。

坂高麗左衛門(11代)年表


1912年 山口県で生まれる
1931年 山口県豊浦中学校を卒業する
1939年 帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)の師範科に入学する
1941年 教員として県下の小学校に赴任する
1948年 10代・坂高麗左衛門の次女・幸子と結婚し、婿養子に入る
1951年 教員を辞職し、作陶に専念する
1954年 旭日現代日本陶芸展で初入選となる
1955年 旭日現代日本陶芸展で入選となる
1958年 義父の死去により、11代・坂高麗左衛門を襲名する
1960年 義宮様御成婚の奉祝品として、花器を献上する
1964年 東京日本橋三越で初の古典を開催する
1966年 日本伝統工芸展に初入選となる
1970年 東大寺普山式に、抹茶茶碗400個を献収する
1971年 日本工芸会会員となる
1975年 山口県指定文化財荻焼保持者になる
1981年 86歳で逝去

1912年 山口県で生まれる

1931年 山口県豊浦中学校を卒業する

1939年 帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)の師範科に入学する

1941年 教員として県下の小学校に赴任する

1948年 10代・坂高麗左衛門の次女・幸子と結婚し、婿養子に入る

1951年 教員を辞職し、作陶に専念する

1954年 旭日現代日本陶芸展で初入選となる

1955年 旭日現代日本陶芸展で入選となる

1958年 義父の死去により、11代・坂高麗左衛門を襲名する

1960年 義宮様御成婚の奉祝品として、花器を献上する

1964年 東京日本橋三越で初の古典を開催する

1966年 日本伝統工芸展に初入選となる

1970年 東大寺普山式に、抹茶茶碗400個を献収する

1971年 日本工芸会会員となる

1975年 山口県指定文化財荻焼保持者になる

1981年 86歳で逝去


坂高麗左衛門(11代)代表作


『萩井戸形茶碗』
『萩平水指』
『萩灰被一重口水指』
『萩花入』
『萩耳付花入』
『萩魚紋壺』
『萩平鉢』

『萩井戸形茶碗』

『萩平水指』

『萩灰被一重口水指』

『萩花入』

『萩耳付花入』

『萩魚紋壺』

『萩平鉢』


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