京都府出身の陶芸家です。
国焼、朝鮮など様々な写しを得意としている作家で、その広い作域は現在の作家の中ではなかなか見られる事がないため、幻の名工と呼ばれています。
その端正な作風は評価が高く、茶陶に精通していた事から、重すぎず、軽すぎずの使いやすさを重視した作品は多くの茶人たちに愛されてきました。
須田祥豊は家業である製陶業に従事し、明治時代末期には祥雲と称し、茶陶制作を始めるようになります。
後に五条坂に窯を築くと、国焼、朝鮮の写しを中心に作陶を行うようになります。
裏千家14世淡々斎宗室より「祥豊」の号を授与されてからは「祥豊」と名乗るようになりました。
そのため、淡々斎宗匠の書付のある作品もよく見かける事ができます。
また、西本願寺大谷尊由師より「示巧軒」の号を、前大徳寺管長円山伝衣師にも師事しており「如拙庵」の号を受けています。
こうして須田祥豊の名は2代目へと受け継がれましたが、2代目が作陶を行う事はほとんどなく、須田祥豊の名はまさに幻となってしまいました。