山形県出身の釜師で、清光堂工芸社の8代目として活躍した山形鋳物界の名工として知られています。
重要無形文化財保持者である根来実三に師事して修行を積み、卓越した技術と天性の美術的才能を生かした茶の湯釜には多くの茶人から高い評価を受け、愛用されています。
佐藤清光の家は江戸時代後期に初代喜六が銅町において鋳物業を始めた事からその歴史が始まっており、その技術は代々伝承されてきました。
羽広鉄瓶を得意とした6代目徳太郎が「清光堂」を屋号とし、7代目善太郎は茶の湯釜、鉄瓶の制作で高い評価を受けており、8代目である佐藤清光の時代ではこれまでに伝承されてきた技法をベースとして高度なへら絞りによる端正でシャープな造形と、繊細な感性を組み込んだ独自の作風で茶の湯釜専門工房として現在の清光堂の基礎を築きあげました。
その意志は9代目にあたる息子の旺光が受け継ぎ、用の美に満ちた茶の湯釜の制作に励んでおり、旺光の息子・琢実もまた10代目として受け継ぐために修行を重ねる日々を続けています。
佐藤清光の作風の特徴は草花、鳥、雲などの文様をモチーフとしており、茶釜はもちろんの事、風炉や鉄瓶にも秀作を見せています。