15代坂倉新兵衛は山口県の深川御用窯の名門で生まれた萩焼の陶芸家で日本工芸会理事、日本工芸会山口支部幹事長でもあります。
坂倉新兵衛という名は山口県長門市深川の萩焼窯元・坂倉家の当主が代々襲名している名前でもあります。
1604年に藩主である毛利輝元の命によって朝鮮から連れてこられた兄弟の陶工がいました。
名前は兄の李勺光、弟の李敬といい李勺光が坂倉新兵衛となりました。
現当主である15代坂倉新兵衛は東京芸術大学美術学部彫刻家を卒業後大学院へ進み陶芸を専攻します。
後にアメリカ留学の予定でしたが父である14代坂倉新兵衛が体調を崩した為に留学を諦め、父に師事し、萩焼の伝統技術を学び26歳という若さで坂倉新兵衛を襲名しています。
襲名後も多くの受賞を飾り、日本工芸会正会員となり、近代の萩焼陶工達が切り開いた新しい分野も積極的に取り入れるなどして活躍します。
15代坂倉新兵衛は造形感覚と技術練度の高さに定評があり、作風も茶陶作家といわれる程で、強い主張のない茶碗や使いやすい湯呑にどっしりとした花器など堅実さが伝わってくる作品があります。
また、萩焼は使えば使うほど味のある表情を見せる焼物で、その特徴を十分に楽しめるように、土の柔らかさと温かみを感じさせる作風が15代坂倉新兵衛の特徴でもあり、萩の土の美しさをいかせるガラス質の白い釉薬をかけ流す独自の表現方法も開拓しました。