京都府で生まれた陶芸家です。
家は京都の五条坂にあり、陶磁器の卸問屋を営んでおり、陶芸に囲まれる環境下にありました。
しかし、陶芸には何も興味が沸かず、同志社大学経済学部へ進みましたが、その時に初めて自分の置かれている環境下に気付きました。
周りを見れば三軒先には清水六兵衛であったり、幼稚園の幼馴染の父親が八木一夫という著名な作家ばかりで、どんどん陶芸の世界にのめり込んでいき自分も陶芸家になろうと改めて京都市立芸術大学へ入学します。
こうして陶芸家になる事を心に決め、作陶に明け暮れる毎日を過ごしているうちに、忙しくなり学校に通う時間がなくなってしまい、中退してしまいます。
その後は日展を中心に国内外の展覧会で活躍をみせ、数々の賞を受賞しています。
当初の作品は、テーマを決めずにただ土を延ばして形を作っていく抽象的な作品が多く、評論家などが作品を見て後から「言葉」を付けてくれていたので、自分で作品タイトルを考えた事がありませんでした。
しかし、全部違う形、違う色、違う技法、違うタイトルの茶碗を101個作った「101碗展」をきっかけに作風も絵付けを施し、可愛い形をしたものが多くなり、作品タイトルも自分で考えるようになると先にタイトルを考えてから制作する事が増えてきました。
こうして、作陶をするにあたり、記憶に残ったものや言葉を遊び心を持って焼物のかたちとして表現するようになった滝口和男が生み出す作品は、一人の作家が制作したとは思えないほど幅が広く、多くのファンを釘付けにしています。