奈良市東部の山奥にある水間地区にある窯で活動し、各地の焼物を作っている海外でも人気のある陶芸家です。
辻村史朗は奈良県の御所市で畜産業を営む家で生まれました。
18歳の頃に東京駒場の日本民芸館で偶然、大井戸茶碗に遭遇することで深く感銘を受け、陶芸の道に進むきっかけとなりました。
当時から独自の世界感があったのか、独立をめざして家業を手伝いながら資金作りに励み、後にリヤカーの車輪を利用した轆轤を自作し、作陶を始めるとほどなくして結婚をします。
結婚後に土地を求め、奈良県の奈良市水間の人里離れた山奥に戦後の開拓農地の外れを手に入れ、住宅、工房、窯、月見台を自分で作り井戸も自力で掘ったそうです。
温厚な語り口でも知られていますが完成したぐい呑や茶碗などを京都の観光名所の道端で販売し生計を立てていた事もあり、生命力を強く感じる事の出来る作家です。
30歳の時に初の個展を開催し、奈良の山奥に面白い陶芸家がいると知られ多くの人が見に来るようになり、陶芸家として成功してからというもの、山奥での作陶スタートから40年以上この地で作陶に励みます。
師を持たず作陶を独学で極め我流を突き進んだ自由奔放、豪快な造形美で存在感溢れる作風で日本を代表する陶芸家となり、海外でも高く評価されるようになりました。
また作品には絵画や書などもあります。
辻村史朗は特定地域の土にこだわりを持たず、各地の気になる粘土を取り寄せ、自分好みにブレンドしたり、目的に応じて使い分けを行ったり、時にはその辺の土で作陶することもあるそうで、信楽焼や志野焼、備前焼や唐津焼など各地の焼物を制作しますが大部分は信楽や伊賀焼の焼き締めの作品がほとんどです。
現在でも雨風に野ざらしにすることで熟成され、独特の味(きれいさび)などを大切にした作品や、中には自然釉の深い味わいを感じる作品、破裂や割れなどのある作品など、何か訴えかけてくるような堂々とした作品を目指し作陶に励んでいます。
作品の中には米国のメトロポリタンやボストン、ブルックリンなど、名だたる美術館に作品が所蔵されているものもあります。
そんな辻村史朗ですが、スキンヘッドでポルシェを豪快に乗り回すなど私生活も人とはちょっと違う感覚のようです。
弟子には元総理大臣の細川護煕がおり、弟子をとらない事でも知られている辻村史郎の窯に毎日押しかけていたそうです。
1947年 奈良県で生まれる
1965年 陶芸家を志す
1966年 奈良の禅寺三松寺(曹洞宗)に住み込み、修行を行う
1968年 実家に帰り家業を手伝いながら、独立する為の資金作りに励む
1969年 結婚する
1970年 奈良県奈良市水間の山中に工房や自宅を作る
1977年 自宅で初の個展を開催する
1978年 大阪三越で個展を開催する
00000年作品が古美術商の近藤金吾氏の眼に止まる
1981年 兵庫県加西市にある北条羅漢を見て感銘を受ける
00000年以後羅漢が主要なテーマの一つとなる
1982年 荒川豊蔵を紹介される
1993年 ドイツ・フランクフルト・ジャパンアートにて個展を開催する
00000年英国・ウエスト・デュポンにて窯を築き作陶を行う
1994年 ロンドン・ギャラリー・ベッソンにて個展を開催する
1999年 裏千家茶道資料館にて「辻村史朗 壷と茶碗展」を開催する