徳島県出身の釜師で、重要無形文化財「茶の湯釡」の保持者である角谷一圭に師事し、師の芦屋釜の美しい作風を継承しています。
芦屋釜とは筑前国芦屋津(現・福岡県遠賀郡芦屋町)の鋳物師たちが造っていた釜の事で、京の貴族や武士たちがこぞって愛用し、室町時代には「釜は芦屋」といわれるほどのものでした。
そのため、国の重要無形文化財に指定されている茶釜9個のうち8個が芦屋釜となっており、趣深い茶の湯の世界を演出してきました。
手塚圭成はそんな芦屋釜の名手でもあり、実に多くの釜の制作を行っています。
日本伝統工芸展を中心に活動を続け、1990年に角谷一圭に一文字をいただき「圭成」と名乗るようになりました。
「圭成」と名乗るようになってからは日本工芸会を脱退し、自らの工房を立ち上げ、個人的に活動をするようになり、現代の名工として多くの茶人たちが手塚圭成の釜を所有しているといわれています。
また、手塚圭成は和銑(わずく)を使った釜の制作もよく行っており、和銑は日本古来の蹉跌(さてつ)を炭で精錬してできる地金で、蹉跌地金の材料の入手が難しく、熟練の経験と技術を必要とし、生産性が少ないのが難点とされていますが、洋銑(ようずく)と比べると錆びが出にくいという特性を持っており、手塚圭成の釜は錆びにくいものが多いそうです。