京都府出身の陶芸家です。
手塚玉堂の五男として生まれ、兄の手塚慧は2代・手塚玉堂を襲名し、その他の兄たちである手塚央、手塚大示も陶芸家として活躍しています。
そんな陶芸一家で育った手塚充はもちろん、父親に師事し、京焼作家として活躍するようになります。
手掛ける作品には仁清写や安南写のものが多く、茶碗や水指などの茶道具を中心に制作を行っており、個展を中心に作品の発表を行っています。
その端正で優雅な作品は制作された数も多いため、多くの茶人から愛され、支持されています。
特に仁清写を得意としており、その出来栄えに思わずため息が出てしまいます。
還暦を機に大徳寺・高田明浦師に窯名「花蝶窯」と「石雲」という号をいただき、以後、手塚石雲と名乗って作陶を行っています。
この窯名と号は大徳寺開祖・大燈国師による「花を持ったなら自らが花となって蝶を招き、石を買えば自らが石となって雲を生じる」という一文からとられたものです。