東京都出身の昭和~平成時代に活躍する日本の陶芸家です。
東京都多摩市に窯を築き、信楽の土を使って赤松の薪で焼成する焼締めの自然釉の作品を手掛けており、武骨でありながら芯の通った、滋味豊かな「明る寂び」と呼ばれる美意識を追求した作品で高く評価されています。
また、アメリカのホワイトハウスや、インディアナ大学美術館、イタリア・ファエンツァ陶芸博物館などに作品が収蔵されており、世界的にも高い評価を受けています。
ちなみに妻・協子も陶芸家として活躍しており、女性で初めて日本陶磁協会賞を受賞した実力派で、時折二人展を開催するなど夫婦二人三脚で作陶生活を続けていました。
辻清明は、作家としては「つじせいめい」と読みますが、本名は「つじよしはる」といい、骨董・古美術を愛好した父親の影響を受け、焼物に興味を持ち、学校へはほとんど行かずに陶芸に打ち込んでいました。
この時、父親にせがんで初めて買ってもらった骨董品は野々村仁清の「色絵雄鶏香炉」でしたが、戦時中に戦火によって焼失してしまいます。
また、姉・輝子は陶芸家として活躍しており、辻清明が14歳の時に姉と共に辻陶器研究所を設立するなど、若くして陶芸の才能に満ち溢れ、多摩市に窯を築き、信楽の土を使った焼締めを中心に作陶を開始します。
この頃から現代陶芸の第一人者である富本憲吉や、近代陶芸の開拓者である板谷波山のもとで学んでおり、作域を広げていきました。
若い頃はガス窯で制作を行っていましたが、後に登窯を築き、本格的な作品を制作するようになると様々な展覧会に作品を出品するようになり、アメリカやヨーロッパなどから注目され、数多くの作品が世界中で収蔵されるようになりました。
多摩の工房が周囲の開発によって仕事への支障が懸念されると長野県穂高町に工房と登窯を築きましたが、2年後に工房と母屋が蒐集した工芸品・書籍と共に焼失してしまう不運に出会います。
それでも陶芸家としての制作活動は続け、その一方で国内外のガラスコレクターとして江戸切子などのガラスコレクションを展観し、自身で制作したガラスの器展も開催するなど、ガラス作家としての一面も見せました。