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田村耕一

田村耕一
田村耕一(1918~1987)
1918年6月田村林次(雛人形師)の次男として佐野市に生れる。日本の陶芸家。1986年に鉄絵の技術で、栃木県では浜田庄司以来2人目の人間国宝に認定される。

1941年に東京美術学校工芸科図案部を卒業し、大阪府の私立南海商業学校デザイン教師に就任。その後兵役につき、1946年京都の松風研究所に輸 出陶器のデザイナーとして入所する。この研究所の顧問で大先輩の富本憲吉から直接指導を受け、その体験は田村の創作への考えや、工芸観を新たなものにし、 富本を畏敬して生涯の師と仰ぐ。
1948年に郷里の佐野に帰り、赤見窯の創業に参画し、同年栃木県芸術祭に出品して、芸術祭賞を受賞。審査員の浜田庄司に認められる。
1949年に倒焔式の薪窯を築き、浜田氏の推薦で栃木県窯業指導所の技官となる。1953年に指導所を辞めて、自宅に四袋の登り窯を築き本格的な作家活動に入る。
1956年の第5回現代日本陶芸展覧会で朝日新聞社賞を受賞したことにより、陶芸作家として、存在が知られるようになり、1957年日本陶磁協会賞を受 賞。以後、1961年富本賞受賞など数々の公募展での受賞が続き、華々しい活躍をしている。

作家として大きく花開いた時期に制作された佐野市役所ホールの 陶璧(『伸びゆく佐野』1962年制作)は、現在も市民の目を楽しませている。田村の陶芸は、昭和40年代後半から、それまで扱ってきた鉄釉に加えて、辰砂釉や青磁釉を扱う割合が増えていったが、絵付け主体の構成が大きく変わるものではなく、一貫して鉄絵の変化を取り入れた絵付けが中心であり、その優れた技術手法は、高い評価を受けている。

1967年に東京芸術大学助教授に就任し、1970年には栃木県文化勲章を受賞。1977年教授に昇進。1979年紺綬褒章を受賞。1983年紫綬褒章 受賞。1986年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、同年芸大名誉教授に、また佐野市名誉市民に推挙される。翌1987年に68歳で永眠。

田村耕一年表

1918年 栃木県佐野市富岡町に生まれる。

1941年 東京美術学校工芸科図案部卒業。私立南海商業学校デザイン教師就任。

1946年 京都の松風研究所に輸出陶器のデザイナーとして入所。
          富本憲吉から直接指導を受け生涯の師と仰ぐ。

1947年 新匠美術工芸会創立参加。

1948年 赤見焼きの創業に参画。

1949年 佐野市久保町 倒焔式の薪窯を築く。

1950年 濱田庄司推薦 栃木県窯業指導所技官。

1953年 独立し、佐野市久保町に四袋の登り窯を築く。

1956年 第5回現代日本陶芸展 朝日新聞社賞・松坂屋賞を受賞。

1957年 日本陶磁協会賞受賞。

1960年 第7回日本伝統工芸展で奨励賞受賞。

1961年 第16回新匠会展 富本賞受賞。

1962年 日本工芸会正会員。

1967年 トルコ イスタンブール国際陶芸展でグランプリ金賞受賞。
          東京芸術大学助教授就任。

1968年 日本工芸会常任理事就任。

1970年 栃木県文化功労賞受賞。

1972年 日本工芸会陶芸部会長就任。

1975年 日本陶磁協会賞金賞受賞。

1978年 佐野市市政功労者。

1979年 紺綬褒章を受賞。

1980年 日本工芸会副理事長就任。

1983年 紫綬褒章 受賞。

1986年 重要無形文化財保持者(鉄絵陶器)認定。
          東京芸術大学名誉教授推。佐野市名誉市民。

1987年 胆のう癌にて死去。勲三等瑞宝章受章。

田村耕一代表作

『銅彩椿文大皿』

『灰釉鳥文楕円皿』

『灰釉草文水注』

『黒釉流芒文大皿』

『刷毛目鉄絵梅文大壺』

『黒陶梅文銅彩花器』

『鉄絵銅彩ざくろ文陶板』

『鉄絵銅彩葡萄文陶板』

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