日本の陶芸家であり実業家。
加賀金沢藩士の子。旧姓は木村。
内海吉造、岩波玉山に陶画を幸野楳嶺、岸竹堂に日本画を学ぶ。更に美術工芸品貿易商でありデザイナーの納富介次郎に着画技法を、また、ゴットフリート・ワグネルに顔料調整法を学んだ。
1889年に石川県立工業学校教諭、99年には兵庫県出石の陶磁器試験所々長に就任。
その後、1906年には金沢に帰り友田組(後の日本硬質陶器株式会社)を設立し自身も技師長として製陶を指揮、主に海外輸出用の食器類を漸進なデザインと形状で製造し薄利多売方式で販売、そのほか内国博覧会などの審査員なども勤めた。
大正7年7月死去
。享年57歳。