長崎県出身の昭和~平成時代に活躍する日本の陶芸家です。
横石家は「九州の仁清」と呼ばれる優美な焼物である現川焼(うつつがわやき)を日本全国で唯一継承する窯元で、その13代として活躍しています。
磁器のように薄い赤土の器体に、白土による刷毛目の超細密描法を駆使した他に類を見ない作品を展開しています。
中でも白鷺(しらさぎ)をシンボルモチーフに独特な空間表現によって凛然たる詩情を漂わせた作風に仕上げており、高い人気を誇っています。
13代・横石臥牛の生まれた臥牛窯は、松浦藩内の大村藩と鍋島藩の藩境にある木原皿山に窯を開いた事がその歴史が始まり、地元で採れる赤土を使い、古くから伝わる刷毛目文様を施した陶器を作ってきました。
13代・横石臥牛が手掛ける現川焼は開窯後50年ほどで廃窯となり、幻の陶器と呼ばれていましたが、13代・横石臥牛の父親でもある12代・横石臥牛が現川焼の再現を完全なものに仕上げました。
そういった家庭環境で育った13代・横石臥牛は、本名を陞治(りょうじ)といい、先代である父親に木原刷毛目の技術を学び、横石臥牛を襲名すると現川古陶の復元など長崎県の伝統陶芸の継承発展に尽力しました。
また、兄・横石松翁がロクロを手掛け、13代・横石臥牛が絵付けを行うという分担制で、フォルムの均整と繊細な絵付けを両立した素晴らしい作品を生み出しています。
これには臥牛窯の「すべての製品が職人の手によって成形され、ひとつひとつ手描きをする」という昔ながらの伝統が受け継がれている事が大きく関係し、質の高い現川焼を生み出しています。