昭和時代の日本の陶芸家で、旧姓は藤井で本名は徹秀といいます。
岐阜県の真宗大谷派雲端寺の出身です。
京都中学(現・大谷高校)を中退し、17歳で雲端寺を継ぎましたが上京し、浅草正福寺の役僧をしながら日本大学社会科の傍聴生として学びました。
関東大震災後、岐阜県に戻って自宅に窯を築き、楽焼をするようになり、陶工を志して京都五条の陶工訓練所で轆轤を、国立陶磁試験所で釉薬を学び、国画会の会員になるも翌年に退会し、富本憲吉らと匠美術工芸会(現・新匠会)を設立し、会員となり「額皿和」「白瓷(はくじ)平水指」などで芸術選奨を受けました。
俳人としても知られており、他には著作に「陶房閑話」などがあります。
息子に陶芸家の山田光がいます。