東京都出身の昭和時代に活躍した日本の陶芸家です。
主に炻器(せっき)と呼ばれる釉をかけない焼き締めの陶器の制作を行っており、炻器は1250℃以上の高温で硬く焼成する焼物です。
安原喜明は素地の土に瀬戸の赤土や信楽土を使用しており、すりつぶした長石と呈色剤として弁柄やコバルトを混入させ黒色の肌を生み出しています。
輪積、タタラなど手捻りによって成型した後に鉄釘、竹ヘラ、のこぎりなど使って表面に引っ掻いたような文様をつけて象嵌の技法を用いるのが安原喜明作品の最大の特徴です。
日本郵船の外国航路の船長である安原喜太郎の長男として生まれた安原喜明は中学校を中退し、当時陶芸界で活躍していた宮川香山、板谷波山に師事し、東陶会の結成に参加します。
東陶会は関東一円の陶芸家が集まり組織された美術団体で、板谷波山が中心となって結成されたものでした。
ちなみに宮川香山は設立当時の顧問として参加しています。
翌年には東京目黒の自宅に紅椿窯を開窯し、帝展で初入選を果たしてからは炻器を中心に作品を展開していきました。
その後、日展で活躍を見せ、評議員、理事などをつとめ、文部大臣賞、日本芸術院賞を受賞しています。
また、パリの日本陶芸展、日ソ展、フィレンツェの万国手芸展など海外の作品展にも積極的に参加し、炻器を世界中に広めていきました。