- 鏑木清方の日本画 お買取り致します -
明治~昭和の美人画の世界を牽引してきた美人画の巨匠
鏑木 清方(かぶらき きよかた)
作品名:「雨の萩」
こちらは以前弊社でお買取りさせていただいた「雨の萩」です。
松尾芭蕉の詠んだ「濡れて行や人もをかしき雨の萩」という句の情景とどこか共通するものがあるような…?秋の冷たい雨の降る中、傘をさした女性は消えてしまいそうな儚さとしなやかさを併せ持つ萩の花のようでもありますね。
いわの美術では、近代的で抒情的な美人画を描いた鏑木清方の日本画のお買取りを強化致しております。また、鏑木清方以外の日本画作家のお買取りも致しておりますので、ご売却をお考えの方がいらっしゃいましたら一度弊社までお問い合わせください。
鏑木清方の略歴
鏑木清方(本名:鏑木健一)は1978年(明治11年)に東京の神田に生まれます。父は戯作者であり記者で、『東京日日新聞(現・毎日新聞)』の創始者の一人でもあった条野採菊(本名:条野伝平)です。
後に日本を代表する近代日本画家となる清方は、14歳のときに画家を目指し浮世絵師の系譜を引く風俗画家の水野年方に師事。17歳で父が経営していた新聞の挿絵や本の口絵を手がけ挿絵画家としてのキャリアをスタートさせます。
挿絵画家として活躍していた鏑木はやがて日本画の制作・発表に注力すべく志を同じくする友人達と共に鳥合会を発足。展覧会を中心に活躍の場を広げ第三回文展で初入選を果たし日本画家としての成功を納めます。
1916年には吉川霊華、平福百穂らと金鈴会を結成しますが清方は党派などへの関心は薄く、ここではあまり熱心な活動をしていなかったようです。
1927年、第8回帝展に出品した「築地明石町」が帝国美術院賞を受賞し、1937年には帝国芸術院会員に選ばれます。文展や帝展を中心に作品を発表していき、受賞を重ね順調に日本画壇の道を歩んでいきました。
その後も、日本画家としてたおやかで色気ある美人画、下町の日常風景を描いた風俗画を主題とした作品を制作する傍ら、以前から親交のあった小説家・泉鏡花の挿絵も手掛けていました。
清方は浮世絵の流れを汲んだ挿絵画家であったため、江戸情緒漂う明治期の東京をこよなく愛しており、美しく艶やかな女性を細部まで流麗なタッチで描いた美人画にその風俗が写しだされています。
第二次大戦後に東京の自宅を焼失してしまい、神奈川県の鎌倉へ住居を移します。戦争や震災によって、清方が好んだ東京の風景は失われてしまいましたが、幼少期から慣れ親しんだ東京の下町から生まれる粋な風情を終生描き続け93歳でその生涯を終えました。
作風と高価買取のポイント
【 作風について 】
鏑木清方は人物の内面まで描写する技術力の高さと、古風な作風でありながらも近代的な美人画で秀作を残し、現在でも高い人気を誇っています。
また、浮世絵の系譜から立ち明治以降の江戸を描き続けた清方は、時代の風俗を取り入れ随所に四季を感じるモチーフや日本伝統の美をちりばめた美人画が特徴的です。
繊細な指先や物憂げなまなざしは優艶で蠱惑的な魅力をはらみ、清方独特の女性表現を感じられます。
【高価買取のポイント①:モチーフ】
鏑木清方のお買取りの場合は、桜や紅葉など季節の風物詩と共に描かれた美人画の人気が高い為、高額でのお買取りが期待できます。
【高価買取のポイント②:共箱、共シール】
共箱とは:一般的に保証書のような役目をしており、蓋表に画題が蓋裏に作者の捺印がある場合が多いです。また、二重箱の掛け軸は高価な品物である場合が多いです。
共シールとは:近現代の日本画には裏に共シールがあり作者の署名捺印・画題が記されています。また、鏑木の作品では弟子の伊東深水が鑑定シールを付けているものもあります。
- 鏑木清方の日本画のお買取りについて -
鏑木清方の日本画のお買取り価格は「作風と高額買取でのポイント」でも述べたように、モチーフや保管状態によってお値段が変動しますが人気の作家ですので、ぜひ一度お問い合わせください。
お手元にご不要になった日本画などございましたら弊社までご連絡ください。弊社HPからお電話・メール・LINE査定などを通して無料でご相談いただけます。その際にはわかる範囲で結構ですので「作家名・作品名・大きさ・モチーフ・状態」など詳細にお伝え頂けますと、よりスムーズにご案内することが可能です。
今回は鏑木清方をご紹介しましたが他の作家の作品もお買取り致しております。
お売り頂けるお品物の点数や内容にもよってしまいますが、出張買取もいたしておりますので神奈川県外にお住いの方もお気軽にご連絡ください。