京都府出身の昭和~平成時代に活躍する日本の陶芸家です。
京都・五条坂で窯を構える蘇山窯の4代目を襲名しており、歴代の諏訪蘇山の中で初となる女性の当主としてその名を受け継ぎました。
諏訪蘇山は金沢藩士の子として生まれた初代が明治維新後に東京で陶磁器製造業を開業し、日本各地を旅して金沢へ戻り、彫刻家の助教諭をつとめていましたが京都の粟田焼の大規模な輸出陶磁器製造業の指導方として呼ばれ、6年間のつとめを果たし、独立して京都・五条坂で開窯したのが始まりで、今日まで襲名され続けています。
4代・諏訪蘇山は、父親は3代諏訪蘇山、母親は12代・中村宗哲という家庭で生まれ、本名を中村公紀といいます。
母親である12代・中村宗哲は千家十職という千家好みの茶道具の制作にあたる10の職家の一つ中村家の当主として活躍した人物で、幼い頃から父親と母親の仕事を見て育ち、自らもその道に進む事を決意します。
高校では漆芸を学び、大学ではグラフィックデザインを学んだ4代・諏訪蘇山は先代である父親と共に作陶を行い、父親が引退すると4代・諏訪蘇山を襲名しました。
諏訪蘇山の名を襲名する前までは中村公紀として中村宗哲の展覧会に作品を発表していましたが、襲名後は、伝統的な蘇山青磁と女性らしい造形でオリジナル性溢れる作品を展開していきました。
青瓷の伝統技法をベースに、練込、三島手、刷毛目などを駆使し、受け継がれた淡麗な釉調と、洗練された端正なフォルムにより独自の作風を確立した4代・諏訪蘇山は、現代的な感覚を加味し、山花水鳥、星や天空をテーマとして、花入れ、茶碗、水指、香炉、香合などを手掛けています。