平田宗幸は明治~大正時代の日本の鍛金家です。江戸に生まれ、本名は惣之助といいます。幕府御用打物師平田三之進重之の弟子となり、その家業を継ぎますが、明治に入って武具製造が無くなったため、鍛金業は彫金家の器地づくりに従事するようになります。宗幸は従来の技術に改良を加え、置物、額などの制作に活路を見出し、鍛金の金属工芸の一分野にまで高めました。のちに東京美術学校の教授になり、帝室技芸員にも推挙されるなど活躍しました。
1851年 江戸に生まれる1920年 死去
『茄子水滴』『銅口銀花瓶』『洲浜置物』