広島県出身の明治~大正時代に活躍した日本の洋画家です。
文展、帝展、新文展、日展などの官展系の展覧会で活躍した洋画家で、油彩画や水彩画で知られていますが版画の制作も行っており、いくつか作品が残されています。
一時、厚塗りによるフォーヴ的な表現を試みていましたが、湿潤な日本の風景や穏やかな家庭の情景を温雅で堅実な写実でとらえる態度は変わらず、夏目漱石に「南さんの絵をもう一度見たい」と言わせた事があります。
上京して東京美術学校西洋学科に入学した南薫造は岡田三郎助教室で学び、卒業後はイギリスへ渡ります。
ボロー・ジョンソンに師事するかたわら、白滝幾之助、高村光太郎、富本憲吉と交友を深め、フランスでは有島生馬とも交友がありました。
サージェント、ターナー、ミレー、セガンティーニなどに強い感心を示し、ジョットーの壁画や古代エジプト、ギリシャの彫刻にも感銘を受け、自らの作品に反映するようになります。
帰国してからは白馬会会員として活動し、白樺社主催で「南薫造・有島生馬滞欧記念絵画展覧会」を開催し、清新な画風で注目を浴びました。
石井柏亭らと日本水彩画会を創立する一方で光風会にも参加するなど精力的に洋画家として活動を行い、東京美術学校の教授に就任すると多くの後進の指導にあたりました。
晩年は東京へは戻らず疎開先の安浦町で過ごしており、目の前に広がる瀬戸内海を描き続けました。
また、穏やかな風景画を多く手掛けた南薫造ですが、戦時中は戦争画を手掛けており、戦争美術関係の展覧会に数回出品しています。