明治時代に活躍した彫刻家で、浅草の幕府御用を務める宮彫師の家に生まれました。
父に木彫りの技法を学び、根付師・菊川正光に牙角彫刻、絵師・狩野素川からは日本画を学び、その全てをいかした彫刻作品で知られています。
その高い技術力は木彫りで有名な高村光雲も一目置く程で、二人は良き理解者として親交を深め、共に明治時代を代表する彫刻家として活躍しました。
また、石川光明は写実的な彫刻を得意としており、その中でも猿の牙彫に優れ、高村光雲の代表作である「老猿」は石川光明の影響を受けた作品ともいわれています。
そんな石川光明ですが幼い頃に父、祖父を相次いで亡くし、叔父の家で宮彫りを覚えていきます。
明治維新後、菊川正光のもとから独立すると作家として活動するようになります。
その頭角はすぐに現し、内国勧業博覧会で次々に受賞を重ねました。
また、パリ万国博覧会やシカゴ・コロンブス世界博覧会でも受賞を重ね、日本国内だけではなく海外からも注目を浴びる彫刻家へと成長していきました。
浮彫りを多用する技巧的な作風は明治時代の人々にすぐに受け入れられ、その中でも牙彫は当時の流行となっていきます。
石川光明はそんな牙彫の第一人者としてその名を挙げる事ができる存在として、現在でも高い評価を受けている彫刻家です。