ヴィネツィアン・ガラス(ベネチア・グラス) Venetian glassを買取ります
本場イタリアでは「ムラーノ・グラス」と呼んでおり、
ヴィネツィアン・ガラスという言語は日本の造語です。
鉛を含まないソーダ石炭を使用することが特徴で、
そこにマンガンなどの鉱物を混ぜることで
様々な色合いを表現することが出来ます。
高度なテクニックが必要とされる、吹きガラスが基本的な製法で
成熟した職人を「マエストロ」と呼んでいます。
ヴィネツィアン・ガラス誕生の由来は、
「ヴィネツィア共和国が利益拡大を図るために始めた」など
様々な云われがありますが、正確な起源は不明です。
ギリシャの都市・アンティオキアと協定を締結し
優れた職人や燃料、原料をヴィネツィアに移しました。
そしてヴィネツィアン・ガラスの制作に成功し、
発展した技術を取り入れ、応用し、さらに発展していきました。
この技術が他国に漏れてしまうことを恐れた政府は
ガラス職人や販売者とその家族を
本土の北東対岸にあるムラーノ島に強制移住させ
島外に逃げる人を厳しく罰し、
高い功績を上げた人には手厚い褒章を与えました。
そうした政策により技術が大幅に向上し、
グラステーブルやシャンデリア、鏡などの名品が作られました。
しかし、中には島外に逃げたす職人もおり、
各地に散らばり技術を広めました。
その教えにより各地で作られたヴィネツィア様式を
「ファソン・ド・ヴニーズ」と呼んでいます。
14世紀から16世紀にかけて、
ヴィネツィアン様式は最盛期を迎えました。
貴族等はエナメルの華麗な絵付けの施されたガラスを
競うように買い集め、その製品を持つことが
社会的ステータスとなる程となりました。
また、この時期に無色透明のクリスタッロと
レースガラスの製法を開発し、
ヴィネツィアン・ガラスの代表的なものとなりました。
その後、職人がヴィネツィアン・ガラスを海外に流出し、
技法と様式が広められ、17世紀から18世紀は
ヴィネツィアン・ガラスの製品がヨーロッパで大流行しました。
約1000年という長い年月に渡り代々受け継がれた技術で
一つ一つ手作りで作り出される製品は同じものが二つと存在しない、
世界にひとつだけの、気品あふれる作品となりました。