燭台切光忠は鎌倉中期の刀工、光忠が打ったとされています。
光忠は備前国長船(おさふね)の刀工で、作風は豪壮、華麗。燭台切光忠は彼の代表としても知られています。
光忠の父である近忠が長船派の祖とされていますが、現存する作刀が無いことから事実上、光忠が祖であるとも言われています。
また、親子共に長船派の祖であるとの説もあります。
光忠の打った華やかな刀は織田信長がよく好んでおり、生存中には32口を集めたとの話も伝わっています。
燭台切光忠は織田信長の愛用していた刀で、死後は豊臣秀吉を経て、伊達政宗の所有となります。
燭台切光忠という名称は伊達政宗がこの刀で家臣を斬った際に、力が余って傍にあった唐銅の燭台も切れたことが由来となっています。