鎌倉時代中期に備前国長船(岡山県瀬戸内市長船町)で活躍した刀工です。
父である「近忠」が長船派の祖とされていますが
現存する作刀が無いことから
「光忠」が事実上の祖であると言われています。
また、「親子共に長船派の祖」という説もあります。
光忠の刀は織田信長の愛刀としても有名で
約30振り以上所蔵していたと伝えられています。
中でも愛したとされる刀が「実休光忠」ですが
本能寺の変で焼失してしまいました。
同銘が数代続いており、
織田信長の後は足利将軍家、徳川家と
歴代の権力者のお抱え鍛冶として活躍しました。
現存している作刀が他の刀工と比較すると多く、
ほとんどが国宝や重要文化財に指定されています。