写真の漆芸作品は、いわの美術でお買取りした五代・川端近左『菊桐蒔絵平棗』裏千家十四代淡々斎書付です。
川端近左は200年続く由緒ある漆芸の名跡です。
総じて芸術に長けた家系であり、代々引き継がれてきた技で素晴らしい作品を作り上げています。
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本名 |
時代 |
特徴 |
初代 |
佐兵衛 |
文政元年〜明治22年
(1818〜1896)
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元は油商 |
二代 |
佐七 |
文政6年〜明治34年
(1823〜1902)
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蒔絵、螺鈿が得意 |
三代 |
蟻洞 |
嘉永6年〜明治45年
(1853〜1912)
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硯箱、卓、棚などに新しい漆工芸を開拓 |
四代 |
対三郎 |
明治24年〜昭和50年
(1891〜1975)
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数多くの茶道具 |
五代 |
三義 |
大正4年〜平成11年
(1915〜1999)
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各お家元宗匠に好まれる |
六代 |
一价 |
昭和22年〜
(1947)〜
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三千家各お家元宗匠に襲名記念の作品に好まれる |
次代 |
宏房 |
昭和53年〜
(1978)〜
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自然をモチーフにした素朴で自由な世界観 |
歴史
初代の佐兵衛は京都御所から南の地域で御用油商を営み、趣味で俳諧や日本画などを嗜んでいました。
そして趣味が高じた漆芸の蒔絵が評判となり、後に本業となります。
ちなみに初代の長男は日本画に興味を持ち、初代が出入りしていた三井家などの後援を受け、明治を代表する巨匠となった川端玉章です。
長男との関係は良好で、京都での武力衝突『禁門の変』(1864年)で戦火に追われた初代は、長男がいる江戸へ移り住んでいます。
二代は長男ではなく初代の弟・佐七が大阪に移り住んで引き継ぎますが、長男も『近左』の後援に尽力し続けました。
三代目は初代の三男が、四代は三代の甥が養子縁組の上で襲名しています。
当代の六代は五代の息子であり、次代は六代の息子です。
五代 近左
五代・近左になった三義は奈良に生まれ、12歳の頃から四代に師事しました。
四代が姪を養子に迎え、その姪の婿養子となる形で家業に加わります。
五代・近左は非常に多才であり、漆芸に加えて日本画も学んでいました。
大阪の知事賞、市民賞を受賞の他、日本美術展では数回入選しています。
53歳で五代を襲名した後は個展に専念し数多くの作品を残し、表千家・裏千家などの家元宗匠に好まれていました。
加えて66歳の時には大阪府知事功労賞を受賞しています。
多くの茶人を虜にした繊細で研ぎ澄まされた技と絶妙な色合いとバランスを持つ五代・近左の作品は、中古市場でも特に人気です。
裏千家十四代淡々斎書付
家元の書付を頂いていることで、作品の付加価値が上がります。
五代・近左の作品は表千家の十三代・即中斎、十四代・而妙斎、裏千家の十四代・淡々斎、十五代・鵬雲斎、松江藩松平家第十五代当主・松平直壽、表千家流久田家十二代・尋牛斎などからの書付を受けていました。
流派や家元によっても付加価値が異なりますが、裏千家十四代淡々斎は安定した高い評価を得ています。
高価買取のポイント
五代・近左は芸術的な作品を数多く残しており人気がありますが、五代に限らず近左は代々素晴らしい作品を生み出しています。
明治から昭和に活躍した四代・近左は22歳~72歳の間 当主を努め、多くの茶道具を手掛け、のびやかな作風で評判です。
初代~三代の作品は、時代的に現存する物は非常に貴重となります。
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共箱や書付がありますとプラス査定となりますので、お持ちの場合は必ず一緒にお出し下さい。
川端近左の作品をお買取りいたします。
いわの美術では、川端近左の作品のお買取り強化中です。
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今回いわの美術でお買取りした『菊桐蒔絵平棗』は美しい蒔絵の棗(なつめ)であり、裏千家十四代淡々斎書付、そして二重箱の共箱付きで、状態が非常に良かったので高価買取となりました。
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