写真の作品は、いわの美術でお買取りした向井良吉のブロンズ像『山原鳥』です。
向井良吉は、戦争による壮絶な心の痛みを熟成させ造形表現した彫刻家です。
技術面では繊細な金属彫刻の作成を可能にし、戦後の彫刻界の新境地を開きました。
向井 良吉 |
むかい りょうきち |
彫刻家 |
受賞 |
第31回芸術選奨文部大臣賞 (1981年) |
就任 |
武蔵野美術大学造形学部芸能デザイン学科 教授(1981年) |
武蔵野美術大学造形学部芸能デザイン学科名誉教授(1988年) |
略歴 ~戦争経験
向井良吉は京都で額縁、屏風の製造を営んでいた家に、三兄弟の末弟として生まれました。
11歳年上の長兄は有名な洋画家の向井潤吉であり、戦前に長兄がフランスから持ち帰った絵葉書や写真集を見て彫刻家を目指すようになります。
その後東京美術学校に進みますが、手先だけ習熟する職人的な癖からの脱却に苦しみました。
そんな中、戦争により繰り上げ卒業して兵士となり、南太平洋ニューブリテン島ラバウルに配属されます。
そこでは病に倒れた戦友たちを日々荼毘に付し葬った壮絶な地獄が待っていました。
敗戦後は捕虜となり、収容生活ではマラリアと栄養失調によって死を覚悟したこともあったようです。
自分の生命が危機にさらされている状況で一体の観音木像を刻みました。
「私の彫刻人生の中で最高だったのはその時だったと思ってます」と後に向井良吉が語っています。
どうしようもない空虚感、そして突発的に起こる恐怖と隣り合わせの状態で、境地に達した至福の経験から、彫刻はテクニックではなく人間の魂から出るものだと悟ったそうです。
戦後13年に制作した『発掘した言葉』(1958年)は、深い戦争の苦悩を具象化させた彫刻で、向井良吉は初めて自分というものをつかめたような気がした記念碑的な作品であると語っています。
この『発掘した言葉』で開花した向井良吉は、自己の思想を造形で表現することにより素晴らしい作品を生み出し続けました。
作風
向井良吉の作品は従来の彫刻とは異質の作風で、廃墟や崩壊のイメージがあります。
それは向井良吉が逃れることができない蓄積された感情が、造形となって訴えかけてきているからです。
複雑で繊細な抽象表現の金属彫刻は、向井良吉が独自に開拓した新素材や新技法により表現が可能になりました。
脆く崩れ逝く形態でも、確かな存在感と凛とした叙情性が漂っており、強烈な印象を与えとても人気が高い彫刻家です。
高価買取のポイント
向井良吉は、『発掘した言葉』(1958年)以降の作品の人気が高い傾向です。
複雑な作品のほうが買取価格は上がりますが、保管状態やサイズ、作品の出来、人気のモチーフかによっても価格は変動します。
繊細な作品は特に保管や移動にご注意下さいませ。
購入時の共箱など付属品がありましたら、プラス査定となりますので一緒に査定に出して下さい。
向井良吉の彫刻作品をお買取りいたします。
いわの美術では向井良吉の彫刻作品のお買取りを積極的に行っております。
コレクションの処分や遺品整理などで、ご売却をお考えの向井良吉の作品をお持ちではないでしょうか?
今回お買取りしたブロンズ像『山原鳥』は小さな作品でしたが、共箱付で保管状態が良く作品の出来も良かったので高価買取となりました。
いわの美術では繊細な作品を移動することなく、写真での無料査定を行っております。WEB又はLINEのご都合の良い方法で写真を送付して下さい。
いわの美術の経験豊富な査定人が、丁寧で誠実な査定をさせていただきます。
お買取りはお客様のご納得の場合のみ行っておりますので、お気軽にお問い合わせ下さいませ。
スタッフ一同ご連絡を心よりお待ちいたしております。