土田麦僊の作品をお買取りいたします。【買取・新着情報】

土田麦僊の作品をお買取りいたします。
2021.9.9

買取りの土田麦僊『京の女』

土田麦僊 『京の女』 掛軸

文明開化後の新ジャンルである日本画を確立した土田麦僊の『京の女』です。

日本美術でありながらどこか西洋的な雰囲気が漂うこの掛軸は、京都の女性をモチーフに細くしなやかな線と美しい豊麗な色で彩られています。


 生い立ち

買取の土田麦僊の掛軸

土田麦僊は、1887年に新潟県の佐渡に生まれます。

家は農家でしたが父親は村長を務めたこともあり、子供達には政治家になることを視野に入れ選挙に有利なようにシンプルな名付けをしていたそうです。(麦僊の本名: 金二)

小学校時代から優秀で神童と呼ばれ、また佐渡は世阿弥が流された島であり能楽が盛んであった関係で土田麦僊は能に精通し、非常に教養の深い少年でした。

幼い頃から絵を描き、11歳でプロ並みのレベルだったようです。

13~4歳の頃に川端玉章と橋本雅邦に憧れ、一文字づつ拝借して号を『玉邦』とし、橋本雅邦には弟子入りを乞う手紙を送りましたが返信はありませんでした。

絵で食べて行きたいことを親に理解して貰えず、高等小学校卒業後は僧侶になるべく寺に預けられます。

そして16歳の時に和尚に連れられ京都の智積院に滞在した際、置き手紙を残して逃げ出しました。

鈴木松年の元へ3日間続けて通い入門を願い、根負けした鈴木松年は自身は老齢だからと息子の鈴木松僊の弟子にしてくれます。

晴れて絵画修行の道へ進めたものの、粉本の模写ばかりの旧派の指導に満足できず、数ヶ月後に腸チフスにかかったことを理由に佐渡に帰りました。

帰郷の4ヶ月後には京都に戻り新派の竹内栖鳳に弟子入りしています。

師・竹内栖鳳はパリ万博(1900年)に出品し、帰国の際は書物や写真などの西洋美術を日本に持ち帰り、日本美術に大きな影響を与えていました。

土田麦僊はそんな竹内栖鳳の元で新しい感覚を熟成させ、渡欧したいという思いを募らせながら、数々の入選を重ね京都画壇の若きリーダーになる期待を寄せられます。

1915年28歳の時に『遊女』のモデルであった15歳の舞妓 角千代 (大道千代)と結婚しました。

翌年には初の舞妓作品『三人の舞妓』を発表しています。

そして周到に準備した上で1921年に小野竹喬などの画家仲間と共に渡欧しました。

 欧州遊学

買取の土田麦僊の作品

土田麦僊の絵は、この欧州での経験なくして語れません。

フランスのパリを拠点にイタリア、スペイン、イギリスを訪問しました。

渡欧直後は風景画の制作を試みるも風土が違う欧州での日本画表現が難しく、モチーフは『女』に専念することを妻への手紙で宣言しています。

土田麦僊は大胆で奔放な性格で、セザンヌやルノワールの絵を気に入ると旅費を割いて画集や作品を購入しています。

同行した他の画家達は1年もたたない内に帰国していますが、土田麦僊は1年半であったことから、経済格差もあったようです。

そして土田麦僊が滞在を延長した理由は、セーヌ川の橋渡しの少女アンリエットと恋仲になったからだと言われています。

手紙で交流する為にフランス語を独学で勉強し、相当なレベルまで上達したそうです。

この恋愛は当時の日本の美術雑誌にも取り上げられています。

土田麦僊はアンリエットの出現により創作意欲を爆発させ、『愛に満ちた自分の空想』を具現化し、明らかに作品の本質のようなところが変化しました。

 帰国後

買取した掛軸

帰国の翌年に発表した『舞妓林泉』は後に切手となるほどの名作となり、「舞妓といえば麦僊」と言われ、舞妓は麦僊の代名詞となりました。

長女の鏡子は土田麦僊が母親と結婚した理由についいて、洗練された美である舞妓そのもの、つまりはオブジェと一緒に暮らしてまでよく観察したかっただけでは?という疑念を抱いていたが母は笑い飛ばしていたと語っています。

逆に言うとオブジェと一体となりその本質を自分の物にしなければ描けない画家でした。

土田麦僊の舞妓は、単なる美しい舞妓という姿ではなく、土田麦僊の魂そのものだそうです。


帰国から13年、十二指腸潰瘍で手術を受け退院後は自宅療養していましたが、自身が任命を受けて取り組んでいた帝国美術院に文芸や音楽などの新分野も加える改編に反発する画壇が多く、師・竹内栖鳳も反対派となり収拾に苦慮します。

退院から2ヶ月半後、再び入院し膵臓がんが発見され、まだまだこれからであった土田麦僊は49歳の若さで逝去しました。

若くして亡くなり作品数が少ない上に、その後勃発した第二次世界大戦で焼失した絵画もあり、現存している作品は非常に貴重になります。

土田麦僊の作品をお買取りいたします。

買取した土田麦僊

いわの美術では土田麦僊の日本画を買取強化中です。
土田麦僊は『麦僊』の号の他『土田金二』『玉邦』、『松岳』も使用しています。

ご自宅やご実家の倉庫などにお心当たりの作品をお持ちの場合は、いわの美術までお問い合わせ下さい。

また土田麦僊にゆかりのある川端玉章、橋本雅邦鈴木松年竹内栖鳳小野竹喬の作品もお買取りしております。

売却をお考えの場合は、写真を送付することにより無料査定を受けることができるWEB無料査定又はLINE無料査定をお試し下さい。

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