大正時代の美術界のリーダーとして活躍した岡本大更による掛軸です。
近代的な浮世絵で多くの美人画を残し、この儚げでどこか妖艶な独特の雰囲気が魅力ではないでしょうか。
着物への造詣が深く、柄・配色・組み合わせや描写も非常に美しいことで有名です。
岡本大更 (おかもと たいこう)
1879年に三重県名張で生まれ育った岡本大更は、幼い頃から神童と呼ばれ絵も上手かったそうです。
幕末から明治の日本美術が大きく変化していく時代に、絵への興味をつのらせます。
8歳の時に一家で東京に引っ越し、その後23歳で京都に移住26歳の頃には農事試験場技手として野菜や果実などの写生に従事する傍ら、独学で絵を学びました。
そして京都府画学校に進むも中退、1907年に大阪に移住し日本画家として本格的な活動を開始、浪花図案絵画競技会銅賞・大阪物産博覧会三等銅賞を受賞します。
躍進は止まらず1914年36歳で再興第一回日本美術院展覧会東京展 入選、翌年にはついに文展で『無花果』が入選を果たし誰もが認める巨匠となり、大阪画壇を牽引していきました。
1922年には支那(中国)へ8ヶ月間旅行をしており、この時現地で購入した支那服は長年愛用していたようで、黒メガネと共に岡本大更のトレードマークとなります。
晩年は妻を失い後添いの妻と共に戦火を逃れ1944年に香川県に疎開し、翌年終戦を迎えるも疎開先で66歳の生涯を閉じました。
人材育成と人柄
岡本大更は大阪に移住してすぐ北野恒富らと知り合い、 『巽画会』大阪支部の結成に関わり評議員に就任しています。
36歳の若さで私塾・更彩画塾を開き、自由に描かせて個々の特徴を伸ばす指導に力を入れ、子弟は数十名にのぼりました。
酒豪でお酒を飲みながら絵のことを語り明かすことを好み情に厚く、出雲の見知らぬ青年から
『私は幼いときに父を亡くし、母に育てられました。祖父は画が大好きですので、先生作の無花果を求めてその心を慰めたいのです。然し、傑作の評判高い御作品を購うことが出来ません。』
という手紙を受け取ると、無料で文展入選作品を送り届けました。
また公共事業に自費を投じ忙しく走り回っていたそうです。
常識に富み多くの人材を育成した岡本大更は、その素晴らしい作品と日本美術の躍進に大きく貢献しました。
現代でも更に評価が上がるべき画家として注目されつつあります。
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