翡翠は深い緑色や乳白色、半透明の柔らかさが特徴の貴石です。
古代から中国および東アジア圏と、中南米で重用されてきました。
・質の高い宝石の翡翠。ロウカン、インペリアルジェイド
・中国の彫刻・玉彫工芸の翡翠
翡翠には軟玉(ネフライト)と硬玉(ジェイダイト)の二種類があり、美術工藝に用いる中国でのみ軟玉の価値が高く、特に質の高いものは羊脂玉と呼ばれます。
宝石としての価値が高いのは硬玉で、中国以外の国では翡翠というと硬玉を指し、軟玉は半貴石の扱いとなります。
二つの翡翠は産地が異なる以外、見た目では区別がつきにくく長年混同されていましたが、1863年にフランスの鉱物学者が分析して初めて全く別の鉱物と判明しました。
地殻下のマントルに多く含まれるカンラン岩が、水を含んで変質すると蛇紋岩が生まれます。
翡翠は蛇紋岩から発生し、プレート境界付近で発生する広域変性作用の産物であり、造山帯で算出します。
硬玉の最大の産地はミャンマーのカチン高原にあり、タイのバンコクにあるエメラルド仏は色合いからエメラルドの呼称が付いていますが、実際は翡翠で出来ています。
その他にもカザフスタン、米国カリフォルニア州、ロシアのサヤン山脈、日本でも新潟県糸魚川市や熊本県八千代市などで採掘されます。
軟玉の産地はニュージーランド、米国ワイオミング州、そして長い中国の翡翠の歴史を支えてきた現新疆自治区西部の和田市(ホータン)があります。
ホータン産の軟玉は「和田玉」と呼ばれ、翡翠の一大ブランドの一つです。
宝石としての翡翠は硬玉を指し、日本では本翡翠と呼ばれます。
透明度の高い澄んだ緑色が重んじられ、日本ではとくに深く濃い緑色が好まれ、中国の美術工芸における翡翠とは異質な人気となっています。
翡翠を宝石としてだけではなく工芸で発展させたのは、日本・メソアメリカ・中国でした。
日本の翡翠工芸は古代に勾玉などで栄えたものの、奈良時代以降は消滅してしまいます。
メソアメリカでの翡翠は緑色に加え赤色など多様な翡翠を使用し、多くは王墓の副葬品として、オルメカ文明やマヤ文明などで面が作られました
一方、翡翠を美術工芸品の域にまで高め、最も長い歴史を誇るのは中国です。
中国の翡翠彫刻は、その他の玉石と総合して玉彫工芸と呼ばれ、なかでも台北故宮博物院に収蔵される翠玉白菜が知られています。
中国での翡翠工芸の歴史は長く、青銅器よりも早く新石器時代には石斧に、仰龍文化・良渚文化では白玉で彫刻祭祀器が作られ、青銅器の発明以降は実用から礼儀・装飾へ役割を変えました。
漢代に玉彫工芸は発展し、隋唐時代は他国との盛んな交流と国力の向上で和田玉の産出量も増え、宋代には中国古代現実主義の流れから細密な彫刻に発展し円熟期を迎えます。
元から明の400年間で新疆から1500トンもの玉を採掘し、優秀な工匠は都市に集められ工芸が発展します。
また明代には硬玉の産地であるミャンマーを影響下に置いたことから硬玉が登場します。
清代最盛期の康煕・雍正・乾隆時代には宮廷専門の玉工房が設立され、玉彫刻の芸術は最高潮を迎えました。この時代の翡翠彫刻は傑作が多く、古美術骨董としても高評価の品々が美術市場に出回りました。
その後王朝の崩壊で苦境となりますが、1947年の新政府誕生後は主要都市で伝統技術を継承し、中国伝統の翡翠玉彫工芸は今日まで伝えられています。
美術工芸品としての翡翠の場合、中国清代の作品は美術的価値が非常に高く、高値でお取引されています。
これら中国骨董は2007年の中国国家文物局の輸出規定の改定により、現在は中国国外へ持ち出し不可能となりました。
高額品は偽物がある場合もあり、由来や入手時期を確認されることをお勧めします。
宝石としての翡翠、彫刻の翡翠ともに大きさと価値は基本的に正比例しますが、石の質・美術的価値によって変動します。
翡翠は化合物の化学組成によって多様な色合いのおこる鉱物であり、緑色だけでなく15色にもわたるとされています。
翡翠鉱石の本来の色は乳白色であり、これに混ざる不純物の種類によって色が決まります。
澄んだ緑色はメッキなどに用いられるクロムが原因となり、深い緑色ではヘム鉄、ラベンダー色には鉄とチタンが含まれて発色します。
硬玉の宝石は透明度の高い緑色とラベンダーが高評価となり、澄んだエメラルドグリーンで最高品質のものは「ロウカン」「インペリアル・ジェイド」の呼称があります。
軟玉の中国美術品では、白色にごく近い翡翠自体の純粋な色が尊重され、羊脂玉と呼ばれます。
玉彫工芸の翡翠では、石の色むら・色むらの活かし方・デザイン・彫刻技術・磨きの巧さ、欠けなどの損傷が無いことなどが重視されます。
翡翠は様々な品物の素材となり、中国では印章、置物、香炉、腕輪、瓶、花入、日本では帯留めやかんざし等の和装小物でも人気が高い傾向があります。