西王母
中国で古くから信仰されてきた女性の仙人で、宇宙をつかさどる聖母として信仰されます。3000年に一度だけとれる桃の実を所持していました。周の穆王は西に巡幸(各地を旅行)したさい、 崑崙山(こんろんさん)にて西王母に会い共に酒宴を開き、帰ることを忘れます。また、漢の武帝が長命を願った際に天界より仙桃7個を武帝に与えたとも列仙伝は伝えています。西王母は、不老長寿の象徴であり「西遊記」にも登場するようになりました。美しく若い婦人像として表現されることが多い仙人です。このような逸話から桃は長寿を願う縁起物として親しまれ、天心や中華の宴会の席では健康と長寿を願い桃をかたどった饅頭が振る舞われます。
西王母の歴史
西王母が最初に登場したのは戦国時代に記された「山海経」で、豹の尻尾と虎の歯を持ってうなる人獣として描かれています。漢時代になると、不死を司る西王母への信仰が高まり、西王母は天上界の生き物と一緒に描かれました。
- 不死の薬をつく兎(ウサギ)
- 月の満ち欠けのリズムをつくる蛙(かえる)
- 九つの尾を持ったキツネ
- 日本では「やたがらす」と呼ばれ、西王母の食べ物を探す役目をもつ三本足の鳥
を従えた西王母の姿は、後漢期の壁画に遺されております。その後、西王母は男性神の東王公と対に表され、国土の東西を護りました。西王母と東王公は宇宙に再生の活力を与える聖婚を行うために、一年のうちの七夕の日にだけ、西王母は鳳凰に雲車を引かせ、東王公は龍に雲車を引かせて会いにいくとされており、敦煌の壁画にもその様子が遺されています。西王母と東王公は、日本の七夕の織姫と彦星の由来でもあったのです。
茶道と西王母
最近では、お茶席で三月から春の間に振る舞われる上生菓子で「西王母」と名のついた桃の形のお菓子を販売しているお菓子司があるようです。西王母は掛け軸では狩野元信筆、狩野探幽筆が代表作例になっています。
茶碗の形にも、口造りを上から見ると桃のフォルムになっている「西王母」という名前の茶碗があり、桃の節句を彩ります。
茶碗の名品では金海茶碗と分類される著名なお茶碗の中に西王母という名の茶碗があります。胴はまっすぐで、口造りは全体に大きく歪み、一か所が詰まったように飛び出している桃型になっています。矢倉竹翁が所有し、江戸から続く茶道具商の戸田家の戸田露吟の扱いから平瀬家に入り、明治36年に高谷家の蔵に入りました。江戸から続く茶道具商の戸田家の戸田鍾之助は「目利き」を代表する人物で、戸田鍾之助にまつわる沢山の本が出ておりますのでお勧めです。