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麻の葉文様について~日本の伝統文様その2~

麻の葉文様について~日本の伝統文様その2~

麻の葉文様について

六角形のひし形を結び付けたこちらの幾何学文様は、麻の葉の形を文様化した連続文様であり、「麻の葉繋ぎ」ともよばれております
古来の人々の生活の道具の原材料や食料としての意味合いでの大麻(オオアサ)は、湿潤で夏には蒸し暑くなってしまう日本では、風通しが良く、衣として、そして強い縄をなうことに用いられてきました。この文様は、麻が人々の生活に原始的な段階の時代から深く恩恵を与えてきたことを示す証となって現在においても愛されております。
 
麻は生命力がとても高く、手間をかけずとも4か月で4メートルもの大きさに育つこと、模様そのものに邪気を払う力があると信じられ、聖なる植物として祀られてきました。この柄は、赤ちゃんの成長と厄除け、魔除けの意味を込めて産着の模様に選ばれる事もある柄となっておりますので、子どもをかたどった日本人形がまとっているということがあるかもしれません。
平安時代に製作された仏像の装飾には麻の葉文様の装飾がほどこされており、麻という植物が信仰にも溶け込んでいた様子をうかがい知ることができます。
江戸時代、歌舞伎役者で大和屋の屋号を持つ岩井半四郎が、麻の葉模様の衣装を歌舞伎の舞台で着たことから、庶民の間では麻の葉模様の着物が大流行したそうです。「八百屋のお七」を描いた歌舞伎のスターを描いた浮世絵の中には、お七が麻の葉文様の着物を着ている姿が多く見受けられます。浮世絵は江戸時代当時の庶民の人々に最先端の文化を伝えるタブロイドやファッション誌、アイドルブロマイドのようなものであったため、この麻の葉文様の着物はこぞって真似されることとなりました。
明治維新の立役者の一人、榎本武楊は繊維用植物としてのリネンを日本に初めて紹介し、彼は明治七年(1874年)、公使として赴任していたロシアよ りリネン(亜麻)の種子を日本に送り、当時の北海道開拓長官、黒田清輝が札幌の屯田兵に栽培させたという史実が残されています。それが日本におけるリネン栽培の始まりでした。その後の明治11年にフランスへ留学した内務省の技師、吉田健作がリネンの紡績を学び、帰国後の明治17年に日本初のリネン紡績会社が設立することとなりました。
日本でリネンが本格的に栽培されるようになったのは明治20年ごろからのことでした。
リネン栽培が最盛期だった第二次世界大戦中には、北海道・十勝地方を中心に北海道全域でおよそ4万ヘクタールもの広大な土地で栽培されていました。当時は軍用品のための素材として利用されていたものが、戦後は衣料繊維へと利用を拡大し、世界の一流ホテルや皇室のテーブルクロス、シーツなど、格式と権威を尊重する場には必ず亜麻:リネンが採用されるようになりました。
麻の布地、麻の葉の文様は現代のモード・ファッション界、夏のお着物にも欠かせない素材の一つです。
そして、亜麻(リネン)と「からむしあさ」のみが、現在の日本の「家庭用品品質表示法」で「麻」としての表示を許されて今にいたります。大麻(ヘンプ)は繊維としても指定外となり、輸出入、売買の禁止はもちろんのこと、栽培に関しても厳重な取り締まりが行われています。

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