ジュークボックスとは
アメリカの古き良き時代を象徴するJUKE BOX(ジュークボックス)。 19世紀後半、まだオーケストラなど、生演奏でしか聞くことができなかった音楽を、"好きな時に好きな場所で聴けるように"という発想から生まれた自動のミュージック・プレイヤーがジュークボックスです。
ジュークボックスは、いわば大型のレコードプレイヤーのようなものです。
当時、レストランやボーリング場など人の集まる所に置かれ、そこにやってきた客がコインを挿入して、楽曲リストの中から自分の聴きたい曲の書かれているボタンを押すと、マシンが自動でレコードを選んでくれ、その曲を1曲だけ聴くことができるというものです。
ジュークボックスはもともとアメリカ産で、1930年ごろまでは、オートマチック・フォノグラフ(自動蓄音機)として一般に知られていましたが、ジュークボックスと呼ばれるようになった由来としては諸説あるようです。
アメリカの南部黒人の言葉にJUKE=踊るという意味合いがあり、それが由来となったという説や、1920年代のアメリカの旅宿で、黄麻畑(ジュート)で働く人々が使っていた言葉からきているという説があります。
1930年代にジュークボックスが現われてからは、レコードの売上が一気に伸びたといいます。ジュークボックスの楽曲はジャズ、ウエスタン、ヒルビリーミュージック、ロックンロールなど、選曲が自由に変えられることから、アメリカでは、ティーンエイジャーの集まるダンスホールで使われることが多かったようです。
特に、禁酒法が廃止されたそのころのアメリカでは、レストランやバーなどにジュークボックスが続々と登場し、若者たちはお酒を飲みながらジュークボックスを囲んで、当時流行した音楽を聴いたり、ダンスをしたりと楽しんでいました。その後1942年頃までには、40万台に及ぶジュークボックスがアメリカ中に普及していきました。
ジュークボックス・デザイン
アメリカで生まれたジュークボックスのメーカーは数多くありますが、中でも4大メーカーといわれたのが、SEEBURG(シーバーグ)、AMI(アミ)、ROCK・OLA(ロッコーラ)、WURLITZER(ワーリッツァー)です。
1930年代のジュークボックスのデザインは、アールデコ風のデザインも取り入れた木製の四角い箱で、正面のガラス扉からは内部機構がみえるようになっており、レコードの交換口を兼ねていました。
1940年代になると、ドーム型の箱の周囲を照明で取り囲んだ、まばゆい照明や装飾に凝ったものが現われます。
ワーリッツァー社の1015型(WURLITZER 1015)など、優れたデザインの名機の数々が生まれました。
ワーリッツァー社は、オルガンも作っていたドイツの会社ですが、この会社のポール・フェラーが、13台のフルサイズモデルのジュークボックスと、5台のテーブル用のモデルを当時デザインし、一躍注目を浴びました。彼のデザインによって、ワーリッツァー社のジュークボックスの名声が上がり、1940年代にはジュークボックス市場を完全に支配したとまでいわれるようになりました。
1950年代には、ジュークボックスの外周を煌びやかに取り巻いていた照明はピラスターと呼ばれる脚部の照明を残すのみとなり、上部はレコード演奏のメカニズムを内蔵するクリアなドーム型が主流になりました。このころは、レコードもSPからドーナツ型のEPが発展し、それとともにジュークボックスに収納する曲数も増加しました。
1930年代は20枚前後のレコード収納であったのが、200曲以上となり、両面演奏装置も出現して、ミュージックボックスとしてのジュークボックス黄金期を迎えました。
1960年代になると、内部構造はほとんど見えないデザインとなり、音響はステレオ化し、照明や装飾は近代化しました。
CDやカラオケが登場した1980年代になると、ジュークボックスの市場は縮小し、従来型のものは姿を消していきました。
日本にジュークボックスがやってきたのは、米軍キャンプを通じて入ってきた1950年代ころです。
太東貿易(現在のタイトー)、レメーヤー&スチュアート社(現在のセガ)、V&V社の3社が最大手として、アメリカよりジュークボックスを輸入しており、のちには国産のジュークボックスも生まれました。
現存する最古の国産ジュークボックスは、日本ビクター製のJB-5000となっています。
近年では、iTunes等のメディアプレーヤーソフトでダウンロードした曲をストックするなど、音楽の楽しみ方も日々変化しています。しかし、現在では入手困難となってしまった従来のレコードタイプジュークボックスが、アメリカをはじめとした世界中のヴィンテージコレクターの間で、再び注目を集めています。