写真の作品は、黄檗宗の木庵性トウの掛軸『猿猴探月図』です。
木庵性トウは1600年代に中国の明朝末期~清朝初期の動乱を避けて渡来した黄檗宗の禅僧です。
能書家であった木庵性トウは黄檗三筆の一人と言われ、珍重されました。
木庵性トウ/木庵性瑫 |
もくあん しょうとう |
1611年~1684年 |
現在の中国の建省出身 |
黄檗宗の禅僧 |
略歴
中国の明の末期に生まれた木庵性トウは幼児期に母親と父親を相次いで亡くし、祖母に育てられました。
10歳にして肉食を断ち、16歳にして長年の夢であった出家が叶います。
44歳の時に師であった隠元隆琦(いんげん りゅうき)に招かれる形で来日、長崎の出島の近くにある福済寺の住職となりました。
すでに高齢であった隠元隆琦が京都に開いた黄檗山 萬福寺は、僅か3年で木庵性トウに託されます。
現在見られる萬福寺の姿のほとんどは木庵性トウによる成果であり、歴代の住職の中で最も功績を残しました。
黄檗宗
木庵性トウの師匠である隠元隆琦の説法は広い層に受け入れられ、更に様々な食物を日本に持ち込みました。
一番有名な物がいんげん豆で、『隠元』から名前が取られたとされています。
更にスイカ、れんこん、たけのこ、煎茶なども隠元隆琦が持ち込んだそうです。
食べ物以外では、読経の時にお坊さんが叩く『木魚』も隠元隆琦が伝えました。
当然のことながら隠元隆琦の人気は凄まじく、日本滞在は3年の予定でしたが、どうしても引き止めたかった江戸幕府は京都の宇治に寺用の土地を与えました。
その土地に開山するにあたって、木庵性トウも師匠の隠元隆琦も臨済宗でしたが日本の臨済宗と異なる点が見られたので、黄檗宗(おうばくしゅう)という宗派を作り、黄檗山 萬福寺を開いたのが黄檗宗の始まりです。
黄檗三筆
隠元隆琦と弟子の木庵性トウと別の弟子の即非如一(そくひ にょいつ)の禅僧3人が特に能筆で黄檗三筆と讃えられました。
黄檗の三筆の登場により唐様の書の人気が沸騰し、日本の書家や文人趣味の学者、儒学者、僧侶などから絶大な支持を受け、茶道と禅の結びつきにより茶掛軸に用いられるようになりました。
猿猴探月
今回お買取りした掛軸のタイトルである『猿猴探月』は、中国の仏書『摩訶僧祇律』(まかそうぎりつ)の故事で、猿が井戸に映った月影に心を奪われ無謀にも取ろうとして、枝を掴んだ猿に別の猿がつながり500匹が数珠つなぎで水面を目指し、重みで枝が折れて落ちてしまい身を滅ぼすという話です。
解釈は諸説ありますが、身のほどをわきまえない願望を抱いて身を滅ぼす愚かさを語ったとされています。
日本画では、1匹の猿が左手で枝にぶら下がり、井戸ではなく湖か川のような水辺で描かれることが多いです。
人気の禅アートのモチーフで、作画者の解釈によって表現が異なってくるので、比べるのも面白い題材です。
高価買取のポイント
木庵性トウの書は、贋作が多く出回っていることでも知られている書家です。
約400年前の物なので、真作であれば今回お買取りした『猿猴探月図』のように状態が良くなくてもそれなりのお値段がつき、状態が良ければかなりのお値段が期待できます。
さらに書そのものの出来や、今回のように日本画が一緒に描かれている場合は作画者の知名度によっても価格が変動します。
共箱も重要ですので、査定の際は一緒にお出し下さい。
木庵性トウの書をお買取りしております。
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今回お買取りした木庵性トウの掛軸『猿猴探月図』は、シミやシワなど状態は良くなかったですが、真作であったので高価買取となりました。
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