裸婦で有名な栗原一郎ですが、晩年は静物にも多く取り組んでいます。
暗く陰りを帯びながらどこか温かみと味わいがある、その独特の魅力が光る作品です。
栗原一郎
栗原一郎は1939年(昭和14年)東京都副生市に生まれます。ここは第二次世界大戦の末期には首都圏防衛の戦闘機基地となり、敗戦後はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に接収されたまま現在に至る米軍の横田基地がある場所です。
栗原一郎の少年時代は戦中から戦後であり、皆が生き延びる為になりふり構わない状態でした。
倫理を正そうとしたGHQの指令により、終戦の翌年に遊郭や慰安所などを合法としていた公娼制度の廃止が決まりますが、結果的にこれは街娼の増加に繋がります。
赤線と呼ばれる特別地区ができて、カラフルで派手な服装の女性が立ち並び、それは子供であった栗原一郎にとっては強烈な光景であり、悪の象徴でした。
これは「カンパスに地味な色合いを使うのも、そのせいかもしれない」と後に語っています。
一方で、初めて絵画というものに出会う機会が訪れます。
ミレーの『晩鐘』の模写を見かけ、世の中にはこんなに綺麗なものがあったのかと感動したそうです。
それ以来、道端に絵を描くようになり、次第に通行人が褒めてくれるようになり、それが画家への道へと繋がりました。
武蔵野美術大学に進み、指導していたのは森芳雄、麻生三郎、須田寿、山口長男という豪華メンバーでしたが、講師陣は自身のことで忙しかったようで、栗原一郎は自身で様々な色彩を試していたそうです。
小貫政之助に師事し、色調を抑え憂愁を感じさせる作風は師による影響と言えます。
小貫政之助も過酷な戦争体験をしており、精神的な苦痛に共通するものがあったのかもしれません。
栗原一郎は1970年代前半に現在知られているような作風となり、1975年のシェル美術賞展三席受賞を皮切りに受賞を重ねました。
全国各地で個展を多数開催し、立軌会同人を務め、幅広い層から人気を得ています。
終生まで東京都福生市で過ごし、2020年に亡くなりました。
青梅市立美術館では多摩地区を代表する洋画家として、2022年に『没後2年 栗原一郎展』が開催されています。
この時に絶筆作品『つよい女』(2020年)も展示され、81歳の年齢を微塵も感じさせない素晴らしい油彩画で評判となるなど、現在でも注目が尽きない画家です。
栗原一郎の作風
栗原一郎の作品の特徴は、黒と白を基調とした影が濃い作品です。
装飾的な要素は排除し、背景を抽象的にしてモチーフを浮かび上がらせています。
モチーフを目の前にして描くのではなく、全くの空想でもなく、普段から月3~40枚のクロッキーを描いて研究した上で描いているそうです。
裸婦や女性の絵が多く、一見 寡黙そうに見せる女性たちですが、滲み出る感情を感じさせます。
建前を除いた人間を見てしまった少年時代の強烈な光景が、人間の本質を見極めたいと感じた原点なのかもしれません。
憂愁や孤愁を呼びながら、それでもどこか温かい作風となっています。
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栗原一郎は油彩画の他に銅版画の作品も制作しています。
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また、栗原一郎の作風に大きく影響を与えた師の小貫政之助、武蔵野美術大学で教鞭を取った森芳雄、麻生三郎、須田寿、山口長男の作品もお買取り対象です。
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