浮世絵の始まりと流れ
浮世絵とは
浮世絵とは、一言でいえば、江戸時代に発達した版画絵のことです。浮世絵の「うきよ」は、かつては、”辛くはかない世の中、変わりやすい世間"を意味する「憂世」と書きましたが、江戸時代に入って、安定した平和な時代が訪れると、現代風・当世風を意味する「浮世」に変化しました。
つまり、浮世絵は、現代の様子を描いた風俗画のことを指しており、美人や花魁、人気のあった歌舞伎役者、風景などを中心に、江戸時代の様々な風俗を題材として浮世絵が描かれました。
浮世絵の誕生
浮世絵の誕生と、江戸時代の町人文化の形成とは深い関わりがあります。儒教政策をとっていた徳川幕府の時代には、それまでの御用絵師集団・狩野派の勢いがなくなり、町絵師が風俗画のジャンルで活躍するようになりました。町絵師達は町衆や武士の求めで、湯女図など享楽的な絵を描くようになります。
さらに歌舞伎役者や美人などの肖像・全体像、庶民の生活の場面や芝居の場面、名所の景観など、市井の人々の好みが、画題に反映されました。中世の制約から解放され、画題は一気に近代化して、あらゆるものが描く対象となったのです。
浮世絵の流れ
浮世絵は、もともと江戸時代前期に、製版本の小説の挿絵として描かれていた風俗画が独立して鑑賞の対象となっていったものです。
初期(江戸時代前期)の木版画は、「墨摺絵(すみずりえ)」と呼ばれ、和紙と墨を使った白黒の版画でした。この頃は菱川師宣が肉筆浮世絵の工房制作を展開し、多くの風俗画をより安価に提供しました。
やがて人々が色のついた版画を求めるようになると、墨摺絵の画面に鉱物質の赤である「丹」を主調色にして筆彩色した版画「丹絵(たんえ)」が登場しました。
江戸時代中期には、紅花から採取した染料や草色で2~3色で着色する画期的な「紅摺絵(べにずりえ)」が現れました。この時代の代表的絵師の一人に、浮世絵の柱絵を創始した奥村政信がいます。
これに続いて画家の鈴木春信が1765年頃、「錦絵(にしきえ)」と呼ばれる、数色の色版を摺り重ねた多色刷りの木版画を創始しました。
やがて江戸時代後期には、浮世絵の隆盛を迎え、美人画、名所絵、武者絵、戯画、役者絵など様々な画題が描かれ、喜多川歌麿、葛飾北斎、歌川広重、歌川国芳、東洲斎写楽など、数々の名立たる絵師が誕生しました。
浮世絵の海外への影響
浮世絵は、西欧の近代絵画に大きな影響を与えました。マネ、ドガ、モネ、ゴッホなどの画家や、版画家のブラックモン、彫刻家のロダン、作家のゴンクール兄弟など、19世紀の多くの芸術家が、東洋の美しい浮世絵に強い関心を持ち、影響を受けました。
当時、宗教的題材や写実的技法を重視してきた西洋の芸術家達にとって、日本独自の浮世絵の技法は、思いも寄らない技法であったのでしょう。
浮世絵の表情豊かな線や簡潔な色使い、自由な発想の図柄などに衝撃を受けたゴッホは、浮世絵を油絵で模写し、世界に浮世絵の価値を広めたことでも知られます。