伝統的な作法によりお茶を嗜む(たしなむ)茶道において、重要な役割を果たす品が「茶器」です。古くから茶道を嗜む人々は茶器に強いこだわりを持っていました。
また、茶器の中でも見た目の美しいもの、名高い人物の所持品といった由緒ある品は「名物」と呼ばれていました。そして江戸時代には、「大名物(おおめいぶつ)」「名物」「中興名物(ちゅうこうめいぶつ)」の格付けが普及しました。
今回は、「名物」と呼ばれる茶器についてご紹介します。
茶道における名物とは
「名物」は茶器の格で、広い意味では銘をもつ茶器全般を指しますが、一般的には江戸時代に刊行された「玩貨名物記」や「雲州名物帳」を代表とする名物記(由緒ある茶道具を解説した書物)に登場する茶器のことを指します。
室町時代には「唐物」と呼ばれる中国製の茶器を尊ぶ傾向がありました。室町時代の茶人たちにより道具の見た目や特徴などの評価基準がつくられ、茶器に序列として「名物」の枠組みが出来上がっていきます。
「大名物」は、大名茶人として有名な松江藩七代藩主となった松平不昧が収集した茶道具の目録帳「雲州名物帳」や、不昧が刊行した名物道具の図説「古今名物類聚」で使われた格付けの名称です。
主に室町時代に足利将軍家が所持していた茶道具(東山御物)などが該当し、最も由緒が深く、貴重な品です。また、唐物名物といわれる中国製の品が多く含まれています。
なお、室町時代に足利義政の茶道師範を務めた村田珠光は「わび茶の祖」といわれています。
そして戦国時代から安土桃山時代に、質素倹約な茶道である「わび茶」の作法を確立させた千利休の時代入ると、茶器の価値観も変化が起こります。諸説ありますが、利休が活躍した時代に著名であった道具を「名物」ということもあります。
江戸時代前期に新たな茶道を切り開いた小堀遠州(武将、茶人)により見立てられた名品は「中興名物」とされ、遠州が記した「遠州蔵帳」や坂本周斎が編集した「中興名物録」(千家名物記)などに記載されています。千利休以降の名品で、唐物が多い「名物」「大名物」と比較して、和物や高麗(朝鮮)物が中心であることが大きな特徴です。
「大名物」「名物」「中興名物」の格付けには諸説があり、利休以前の品を「大名物」と呼ぶ場合もあれば、「名物」の中の上位の品を「大名物」として区別する場合もあります。
大名物の逸品
代表的な「大名物」として、天下三肩衝と呼ばれた茶器「楢柴肩衝」「新田肩衝」「初花肩衝」や、名高い茶入の「初花」の他「曜変天目茶碗」「白天目茶碗」「灰被天目茶碗」「富士茄子」「本茄子茶入」「唐物茄子茶入」「井戸茶碗」が挙げられます。これらの逸品は、足利義政など室町将軍家や織田信長、豊臣秀吉、徳川将軍家など名だたる大名が所有したことで有名です。
製造された時代は、中国の南宋または元時代の作と推定されるものが多く、「初花肩衝」は日本に伝来する以前は楊貴妃の持ち物だったともいわれています。また、肩衝 (かたつき)とは、縦長で肩の部分が突き出ている形状をいいます。
これらの大名物は、国宝や重要文化財として登録されているものがほとんどです。
名物の逸品
名物は広い意味で由緒ある茶器全般を指す「名物」と、千利休が活躍した安土桃山時代に「名物」とされた品を指す場合があります。
千利休が秘蔵した名物は利休名物と呼ばれ、「利休小茄子」などがあります。
中興名物の逸品
代表的な「中興名物」には、「堅手茶碗(長崎)」「赤楽茶碗(無一物)長次郎作」「肩衝茶入(在中庵)」「鸞天目茶碗」「丸壺茶入(相坂)」「唐物文琳茶入」「小井戸茶碗 銘六地蔵」「褐釉肩衝茶入 渋紙手 瀬戸 銘山桜」があります。
雲州松平家、小堀家、住友家などの大名家に伝わる品が多く、「大名物」などと比較して素朴ながらも力強い味わいを感じさせます。
おわりに
茶道の長い歴史とともに、さまざまな茶器が世に生まれました。
「名物」と呼ばれる茶器は今でも高い価値がありますが、名物とまでいかなくとも、骨董品や美術品として取引の対象となる茶器は数多くあります。ご自宅に茶器があるが価値が分からないという場合は、出張鑑定や買取を行っている「いわの美術」にご相談ください。ご自宅で埋もれている逸品が見つかるかもしれません。